9:30分チェックアウト。今日の大型タクシ−はベンツ、私達6個の荷物もトランクにすっぽり収まり、今まで
のグラウンタクシ−と随分違う。考えてみると、一口にタクシ−と言っても所により随分違う。
フェズ→シャウエンのチケットを購入する際、次の目的地、テトワン→タンジェの切符を依頼した。
パソコンでバス座席表示を見せながら、また、また…彼は“空席は4席しかないと言う。
(4席?)と、悲鳴にも近い声を上げると、彼は「空席は4席だが切符は5枚売る事は出来る」と何度も言う。
「4席しかないのに?座れる?乗れる?…」の押し問答をしながらもとにかく切符5枚購入。
結局乗車時に理解したが…、始発では残4席、私達が乗車するシャウエンで半分以上の席が空くのだ。
ちゃんと始めに説明してくれたらいいのに…、”残4席だが切符は5枚売る”と言う彼を魔術師?とも思った。
シャウエンは、山の斜面にへばりつくように広がる小さな街だ。
白壁にブル−の窓枠・玄関などのアクセントがとてもロマンチックで、どこでも絵になる風景が見られる。
迷路のような坂道を上る。白やブル−の壁にオレンジ・緑の屋根瓦…そんな古い建物の街並みを眺めていると
時が過ぎるのも忘れさせてくれる。
“シャウエンの街”には青空が似合う。しかし生憎雨!雨!…やっと晴れ間を見つけ急いで歩いて上る。
頂上で、テトワンから旅行中の学生さんと話している内に、一瞬にしてまたしても雨、雨だ。
砂漠を過ぎたころから、どうやら“雨季”になったかのようだ。
5:30ラクダと分かれ、サンセットを見る為砂丘に登っていく。
サラサラの砂が心地よい。一足一足進むと、キュキュと靴がきしむ音が聞こえるだけだ。
一体この砂山は、どこまで続くのだろう…。
5:45分、大海原のようなサハラ砂漠に太陽が静かに沈む。
遥か遠くの砂山に小さな人影がポツンと見える。未だ足を踏み入れた形跡さえもない砂山がウエ−ブを描き
どこまでも、何処までも果てしなく続いている…。 夕食後、テントから少し離れて、星空を観察する。
北斗七星、オリオン座、カシオペア座…、満天の星空をいつまでも眺めていた。少し離れたテントで、歌と
ダンスの催しがあると誘ってくれる。星空をライトに、砂漠の中で奏でるベルベルの音楽…
しかし、私達はラクダツア−の疲れもあり、明日のご来光を拝む為にも…21時就寝。
翌朝6:45分起床、ご来光を見に裏山砂丘に上る。(7:10分 Sun Rise)
夜露で少し湿った砂の上を一歩一歩踏みしめ歩いた。昨日歩いた同じ尾根なのに…、既に足跡はない。
サラサラとした砂は一夜にして足跡をぼやかしてしまう。雄大な大自然を前にして何時も思う。
“自然には敵わない。逆らえない。人間なんて,なんとちっぽけなのだろう…と。
エッサウイラからバスで3時間。マラケシュに近づくにつれ、3,000m〜4,000mの山なみが並ぶオ−ト・アト
ラス山脈が、遥か遠くに純白の雪をまとって見せてくれる。いよいよ“モロッコ”らしい?街に近づく…、
と、車窓風景に見とれていると,とんでもない”アクシデント”発生!!
バスは空席が多く、私達も各々窓際の後部席に移動。そして、ほんの数秒席を離れ、戻ると “バッグ”が
何と行方不明!!後部座席のアベックが怪しい?と睨み、他の空いている座席を順番に点検した。
(…次の休憩時運転手さんに、乗客が降りる前にバックを盗られた事を“英語”でどう説明するか?)と思案
を巡らしていた。すると、忽然と行くえ不明の“バック”は元の席に戻されていたのだ。
バックが無いことに直に気づき、探し廻わる私達の様子を察して、アベックの若者はきっと隠しきれないと
思ったのだろう。幸いに、パスポ−トもお金も無事!本当に、油断大敵だ!!
2月21日、ドーハから関空へ8時間45分、私達の”旅”は無事終わった。
しかし私達を降ろした“飛行機 の旅”はまだ続く、韓国の“インチョン”空港へと…。
7、メクネス〜フェズへ(電車で50分)
バスで1時間半、早朝か夜遅くの便だけだ。ミニバスは?と問うと、例のグラウンタクシ−だけだと言う。
荷物の持ち運びが大変だが、仕方なく電車で行くことにした。
プラットホ−ムで電車を待っていると、隣町まで行くと言う人の良さそうなおじさんが、「フェズへ行くのなら
メディナのリヤドへ泊れ」と勧めてくれ、ホテルへ携帯で電話し出迎えも依頼してくれる。
駅に到着すると、ホテルからの出迎えは、例のあのグラウンタクシ−だ。
5個荷物を入れるとトランクはもう閉まらない。運転手は、何処からか洗濯紐を調達してきた。
でも、私達はもう少々のことでは驚かない。
8、フェズ〜シャウエンへ(バス4時間半)
(おまけのスペイン・ド−ハ)
マラケシュはフェズに次いで2番目に古い町。メディナとス−クが観光スポットだ。
毎日夕方になると屋台が開き人が集まる“フナ広場”へ行くと、芸人たちがパフォ−マンスを繰り広げる。
人だかりの場所を覗き何気なくカメラを向けるとさあ大変。“モデル代”を払えとしつこく追ってくる。
「皮なめし」の案内にも参った。スークを歩いていると、「皮なめし、皮なめし…」と、話しかけてくる男に
私達5人、のこのこついて行った。(旅の本には、偽ガイドの声かけには、要注意と書いている)
暑い中,歩けどもあるけども、”皮なめし”に一向に到着しない。20分位歩き漸く辿りつくと、「フォート、
フォ−ト」と、写真を撮れと言う。(…ここが皮なめし?)と、訝っていると、今度は皮製品のお店に招き入
れられる。その間1〜2分、何も買わずに店を出ると事件が起こった。一人の男が”一大事”と言わんばかりに
飛び出して来て、「ビンボ」「ビンボ−」と大声で叫ぶ。すると、いつの間にか4〜5人の男たちも駆けつけ
「ビンボ-、ビンボ…」の大合唱で私達を追いかけて来たのだ。
初めに案内した男も(チップは既に渡し済み)彼らと一緒に「You pay some money!」としつこく言う。
仕方なく、200円払いやっと解放されたが…、本当に“疲れた!!
以後私達は何か強引に売りつけられる度に、「ビンボ−だから…」と言葉を返すのが口癖となった。
ここも、メディナの中のレストランには勿論アルコ−ルはない。新市街で“アルコ−ル付きレストラン”を
一軒見つけ、連夜同じ店に行き、ビ−ル・ワイン“で乾杯!!
ザゴラには、奥さんが日本人のラクダ乗りがいると言う。しかし、(やっと日本語でモロッコの旅の情報
が得られる?)と思いきや…奥さんは、赤ちゃんが皮膚病に罹り、薬を貰いに日本へ帰国し不在だと言う。
次にラクダ乗りを勧められ待っていると生憎の雨、キャンセルとなった。帰途,雨の中を走る車は
メータ−の針は動かず、ドア−の取手は壊れ、ワイパ−も故障したままだ。あまりにひどい土砂降りの雨に
運転手はワイパ−を片方だけ取り換え、漸く少し前方が見えるようになり少しほっとした。
奇岩が連なる“ドアラ谷”の道路を猛スピ−ドでの帰り道、“事故車”一台発見。車は道路を飛び越え、
ゴツゴツした岩の上にちょこんと乗っている。幸い誰にも大した怪我はなかったようだ。
しかし、私達のオンボロ車と、ラリ−のようなスピ−ド−で走る運転手を思うと他人ごとではなかった。
奥田 知巳・詳子
−2009年1月25日〜2月21日−
カサブランカの駅舎は目下改築中。道路も泥濘ありガタガタだ。駅近く目についたイ−ビスホテルに決める。
午後、20世紀最大の芸術作品と言われる、モロッコ最大のハッサンモスクへ行く。
モスクは規模も贅を尽くし、天井のド−ム、内装なども今まで旅したモロッコの建物とは随分違い驚きだ。
入場料も1,300円と随分高く(他は100円〜200円位)このモスク維持の為市民は高い税金を払っているらしい。
モスク内の拝観は1日4回、英語・仏語・スペイン語…別にガイドしてくれる。学校から遠足の大勢の子どもた
ちの見学で賑やかだ。子ども達は日本人が珍しいのか「キャアキャア…」と寄ってきては話しかけ、記念写真に
一緒に納まったりと大忙しだ。写メ−ルで撮られた少年には、お返しに?私も彼を写真におさめたのだが…。
彼らはとにかく素朴・純真、そして明るく人なつこい。元気一杯走り回る彼らを見ると、今の日本の子どもには
見られない”子どもらしさ”を感じた。
また、ここカサブランカで小学生の子どもたちの持つ写メ−ル・カメラなどを見ていると、砂漠近くで
出会った子ども達と随分違う事に気付いた。
ザゴラでの食事中、上着の裾を捲りあげ、私たちの残したパン・ポテトフライ・僅かな肉しか付いていない骨付
き肉を入れるや否や,あっという間に持ち去った子ども達…、
ワルザザ−トのガイドの“モハメット”は、携帯を(プリぺ−ドカ−ド?)所持していたが、私達の使う
テレホンカ−ドを目にし、家に電話したいからと、又停電時使用した懐中電灯を見て
「早朝暗い中お祈りに行く時使いたい」と所望したらしい。(…後、電池は購入出来るのか?疑問だが…)
−フェズはモロッコ一番の迷路で有名な街−12:30〜15:40分ホテルで依頼したハジンにガイドしてもらう。
彼は、日本語を少しまじえてユ−モアたっぷりに案内してくれる。
ス−クの中では、両足を縛られ”死”を待つ鶏、やがて”ギャ−“と鳴き声と羽をバタつかせる音。
皮なめしスークでは、マラケシュの“皮なめし”と随分違い、壺の染料がとても色鮮やかだ。
メディナの中を、ガイドの後ろについて必死に歩いた。(モロッコの人は、何時も何処でも速足だ。)
夕食は、リヤドホテルお勧めお部屋食。(フェズの全景が見渡せれる屋上の食堂が寒いからだが…)
狭いテ−ブルへ料理やビ−ルを運ぶ青年は、ホテルの受付兼ウエイタ−。彼は一人二役も三役も兼ねた働き者だ。
いつも仕事内容に合わせ服も着替えて現れる…、とても茶目っ気があり面白かった。
城塞の中にあるリヤドホテルは、昔の貴族の館、お城など…だった事もあり、古い建物で勿論エレベ−タもない。
タイルで装飾された壁画は優雅で落ち着いた雰囲気をかもし出していた。
空港へはホテルから大型ワゴン車の出迎えあり(約5,000円)運転手は、明日からの旅に自分の車での
観光を勧める。そして、明日のエッサウイラ行きも(バス7時間)、ワゴン車を使って欲しいと要望あり。
17:25分ホテルチェックイン
早速、明日のエッサウイラ行きの運賃を交渉するも、約20,000円(バス代金・1人/1,400円)
グランタクシ−利用で、バス代より少し割り増しになる程度?と、コストダウンの交渉も決裂。
結果、バスで行くことに決めチケット購入。
次にモロッコ無事到着を祝い、晩餐会に相応しいレストランを探すことにした。
モロッコらしいレストランは?と、お店の前でメニュ−を見ていると早速店主に呼び込まれた。
壁は全てタイル張り、一見落ち着いた豪華そうな雰囲気だが暖房もない閑散とした部屋に通された。
客は私達5人だけ、モロッコ料理のコース5人前(一人2,000円)ス−プ又はサラダ、タジン、デザ−ト
などを注文。そして“ビール”で乾杯!と、言う段になって漸く気付いた。ここはイスラム、禁酒の国
なのだ。アルコ−ル類は一切置いていないと言う。
仕方なく何はともあれ“水”で乾杯!…、何とも盛り上がりの無い祝宴となった。
サラダ一人前6皿にも驚いた。骨付き鶏肉、野菜、クスクス大盛りのタジンと凄い量だ。(皆で2人前あ
れば十分の量)旅の疲れもあり、皆それぞれ料理の殆ど残してしまった。
以後私達の“旅”のレストラン選びは“アルコ−ル”があるか否かで、料理の美味はカサブランカ着後
始めて食べた、ここ“モロッコ料理”を基準とした。
夕方には、モハメットが“ハマム”に案内してくれた。
蒸気むんむんの部屋にはいると、いきなり知らない女性にお湯をかけられ、ナイロンたわしでごしごし…、
そうこうしている内に訳の分からないままにハマム終了。
出口では、私達をごしごし洗ってくれた女3人(マッサ−ジだったらしい)ニコニコ笑顔でマッサ−ジ代
を払って欲しいと待ち構えている。何はともあれ、3日ぶりの垢を落とし気分は爽快!!
ベルベルのお客さんのもてなしは、大皿に盛ったクスクス、タジン等の家庭料理。
アイシャの手料理はとても美味しかった。モハメットが肉を手でむしり、その場の最年長の人が取り分ける
事やベルベル風の食べ方を教えてくれる。
又、アラブの装いのタ−バンを巻いてくれたりベルベルダンスも教わった。お返しに?私達も “炭坑節”を
一緒に踊り笑い、本当に楽しい日々を過ごす事が出来た。
彼は、モハメットは一体“何者?”未だにさっぱり解らない。ツア−料金は運転手に直に払う。彼はその
一部を運転手から貰う?とも思われたが…、そうでもないらしい。
ワルザザ−トでのお別れの時、彼は「幾らか私にも払って欲しい」”と言う。「幾ら?」と問うと、こちら
で決めて欲しいともいう。3,000円少々渡したが、謝礼として十分だったのかどうか検討もつかない。
しかし、頼みのMさん不在の中一時はどうなるかとも思われたが、モハメットがいてくれて本当に助かった
こうしてワルザザ−トの3日間もあっという間に過ぎ、旅の思い出の一ペ−ジを刻んでくれた。
バスタ−ミナルに着くと、いきなり客引きだ。愛想のいい男に「Mファミリに行くのか?車を準備してく
る。」と、声をかけられた。Mさんには事前にメ−ルし、出発前にも携帯に電話したので、(Mさんからの
出迎え?)と思った。暫く待ち、“6人乗りグランタクシ−”にギュウギュウ詰めでMさん宅へ向かう。
5個の荷物でトランクは開けっ放し状態だ
Mさん宅に到着すると、ツア−斡旋者?の男2人が居間に座り、その内、バス停で始めに声をかけて来た
一人が、「明日からの観光の予定を決めるので、街まで来て欲しい」言う。
「Mさんと相談して決めたいので…」と話していると、そこへM夫人が帰宅され彼は慌てて退散した。
今度は、後に残った男性が熱心にツア−を勧めてくる。また彼は先ほど慌てて帰った男性との関係を
尋ねると“友だち”と言う。
M夫人アイシャは日本語で自分の思いは喋るが、会話は噛み合わない。英語も話さない。
夫Mさんの事を尋ねても、「ラバト仕事」…と要領を得ない。ともかくMさんは、今夜は帰宅されないのだ
と理解し携帯に電話を入れた。すると、とんでもない事にMさんはラバト(ワルザザ−ト〜バス・電車で
約10時間?)に目下単身赴任中。
更に、私達を迎えた人物を、又家の中でツア−を勧める2人の男性の事を問うと困惑された様子で
「…はっきり言って、誰も信用しないでください。」と言われる。
Mさんには、ワルザザ−トでの3日間と砂漠ツア−等の相談に乗って貰う筈だった。思わぬ誤算だ。
幸いにも後で分かったのだが、夫人アイシャの顔を見て早々に退散した男性は信用できない人、又、私
達の世話をしてくれたもう一人”モハメット“は、アイシャと同じくベルベル人で信用できる人?らしい。
しかし(…明日ザゴラ行きを決めたがシャワ−も出来ず、冷え込むこの部屋で3日間過ごせるだろうか?)
と、不安も募るばかり。翌日、(3泊の予定を2泊に変更に…)と「ザゴラ行きを中止して、近場のカスバ
に行きたい」と伝えるが、アイシャは、「旅行届け?(隣の県?に行くのに届けがいるらしい)を出したの
でノ−」と言う。(仕方ない、ここで3日間過ごすしかない…)と、私達は決意を固めた。
ス−クや魚市場を歩くと焼き魚、フライなどの美味しそうなにおい。新鮮な魚を陳列し、調理して食べさ
せてくれるお店が10数軒並んでいる。しかし、ここにも”アルコ−ル“はない。
客引きのマスタ−が出てきて交渉が始まり、内緒でビ-ル持ち込みを許可してくれるという。
スーク内に唯一あるビ−ル屋さんを見つけるのも大変だ。店頭には”ビ−ル“らしき物は一切見えない。
歩く人に尋ね、尋ね、漸くビ-ルを見つけお店へ。(アルコ−ルは、いつも黒い袋に包んでくれる。)
お店に入ると、先ずカモフラ−ジュ?に、“水”を注文。そして、缶ビ−ルは紙ナフキンで包むよう指導を
受ける。店主も罰則でもあるのか、“ビ−ル”に神経を尖らし、グラスにもナフキンを巻くようにと言う。
(…誰か他の客が見ていないか?)私達も缶を隠し持ちビールを飲み、料理を食べる。
なんと、こそこそ隠しながら食べる事の味気ない事! 新鮮な魚の味も何もない。
こんな思いしてまで“ビール”を飲む程でもないと思うのだが…。
アルコ−ル類に一切目もくれない“モロッコの人々”を尊敬してしまう。
“モロッコ”は何時の頃からか訪れたい国の一つでした。
3年前チュニジア旅行した時,砂漠・海・白い壁・鮮やかなブル−の窓…に強烈な印象を受けました。
その“チュニジア”と同じアフリカ大陸にありアラビア語、フランス語が話され、ヨ−ロッパ諸国の言語
文化に種々影響受けながらも、ベルベル・アラブの文化もしっかりと根付いている"モロッコが面白い”と
聞き旅の機会を窺っていました。
初め2人〜3人の予定で、ツア−または個人旅行かと迷っている時、モロッコ旅行には6人乗りの
”グラウンタクシ−”が経済的で便利な事を知り、幸いにも岩田さんご夫妻もご同行して下さることになり、
姉を含め結果5人の心強いメ−ンバ−で旅立つ運びになりました。
予め旅程の計画を立て、ホテルは出発前に到着日を含め5泊予約。三☆クラスで安心とあり、三☆を基準にし
後はフリーに。又、ワルザザ−トでは、日本人Mさん(奥さんはベルベル人)の家庭にメ−ルでコンタクトを
取りホ−ムステイを依頼し後半の旅程・宿泊などは、Mさんと相談して決めることにしました。
はじめに
10、 ちょこと立ち寄り、おまけの”ド−ハ”観光
7、テント泊〜メルズ−ガ〜メクネスへ(バス8時間)
5、砂漠の入り口・エルフ−ドへ
6.砂漠の中のテント泊へ
10、タンジェ〜首都ラバトへ(バス5時間)
※ モロッコでの費用には土産もの購入一部入っているので
モロッコ旅行は実質約250,000円
旅の総費用・一人分・・・274,000円
-無事旅を終えて−
ドーハではトランジット約20時間があった。(少々の誤算はあったが…)
6時間〜24時間以内のトランジット時間で,航空会社より高級ホテルや観光が与えられるという情報で
格安チケットでも、サ−ビス受けたと言う人もあった。
しかし、私達のチケットにはサ−ビスはないと言う。ビザ代を(28$)支払い安ホテルにチェックイン
そして、午後から4時間のド−ハ観光ツア−へ
ド−ハの街は新しい街。5〜6年前から近代的でモダンな多くの高層ビルが建てられ始め、現在も
ビルの建築ラッシュ−中だ。あちこちの高層ビルにはクレ−ンが大きくはためいている。
ミュ−ジアムの外装も展示室も素晴らしく全て無料。中東諸国の遺跡・絨毯・宝石などが展示されている。
各展示室の係員は全身黒ずくめドレスの清楚な女性たち、男性は白い民族衣装だ。
街中で働く人の90%は、アジア・インドの国々からの出稼ぎの人、彼らは各々仕事によりり服装が異なる。
カタ−ルの人と出稼ぎの人達の間には、服装ではっきり区別されているかのようだ。
10、 ラバト〜カサブランカへ(電車1時間10分)
15:10分発のバスが1時間遅れで到着。公営のCTMバスだが田舎を走るバスは、ガタゴトのバスだ。
出発前、夜暗くなり到着するので3☆ホテルへ予約の電話すると満室だ。仕方なく交通の利便性を考えて
1☆のオテル、マルコ・ポ−ロへ予約した。
傾斜地に立つオテルは、階段の上に又階段、階段…、私達の部屋も奥へ奥へと階段を上る。
それも、部屋まで自分で荷物を持ち運ぶのだ。でも、この過酷な?荷物運び以外は部屋も綺麗でバストイレは
別々。それに安い。私達は予定を変更して3泊もした。(1泊1,600円)
レストランも経営して居り、雨の中をレストラン捜しに歩く必要もない。十分満足した1☆オテルだ。
翌日、天気の良いうちにとスペインに渡ることにした。
タンジェ→タリファ35分の高速船の旅だ。
タリファ到着後、海岸沿いのすぐ近くに古い城塞があり、街巡りをしたかったのが…、アルへシラス行きの
無料サービスのバスにすぐに乗れと言われ仕方なく向かう。
わずか35分、船で渡ると、ここはもうスペインだ。山なみに並ぶ白い風車と、緑の山々のコントラストが、
とても素晴らしい。街並みも風景も“モロッコ”と、随分違う。
アルヘシラスの港は静かな小さな街。しかし、ここは”スペイン”ランチを食べたが、値段は高く料理の量の
少ないのにも驚いた。アラハンブラ宮殿も訪れたかったが、“スペインの地”を踏むだけに留まった。
翌日は朝から雨、それでもメディナを歩いていると雲が流れ、久しぶりの青空を見せてくれた。
急いで晴れ間の内にと、グラウンタクシ-に乗りカップマラハタへ向かう。
ジブラルタル海峡、スパルテ岬、昨日訪れたタリファ−も十分見渡し、次の目的地、スパルテ岬、
ヘラクレスの洞窟へ向かうと再び土砂降りの雨。車のワイパ-はせわしく動き、フロントガラスには洪水のよう
に雨が流れ落ちる。岬に着くと、運転手さんは海も風景も何も見えないのに、下車観光を勧めてくれる。
一体、ここタンジェの天候はどうなっているのだろう。
翌日は、世界文化遺産、ロ−マ遺跡の“ウオリビリス遺跡へ、
グラウンタクシ−をチャ−タ−して現地に着くと、自称ガイドが何処からともなく現れ案内してくれる。
帰途、白い家並みが山頂まで広がっている”ム−レイ・イドリス“の丘へ。
ここでもまた、迷路のような坂道を歩いていると小学生の子ども二人、ガイドが始まった。ム−レイ・イドリス廟のすぐ傍に
来ると突如若者が現れ、子どもガイドを横取りし?勝手にガイドを始める。しかし、既に目的地も近く、小学生の子ども二人に
チップを渡すと大喜びで走って行った。
1、先ずはカサブランカ空港へ(15時25分着)
4.マラケシュ〜ワルザザ−トへ(CTMバスで約5時間)
メクネスは標高522m、オリ−ブや葡萄のメクネスワインの産地で、初めて気軽にアルコ−ルも注文できる
街だ。 北アフリカで、最も美しいという”マンス−ル門“、非ムスリムも入場できる唯一の”ム-レイ・イ
スマイル廟“アグダルの貯水池”を歩く。貯水池そばの工事現場?を覗くと、ミデルトの学生さん二人が話
しかけてくれる。彼らは見本市の準備中?で植物の改良の勉学中らしくスコップを手にし服は泥だらけだ。
夕食は、魚料理のお店へ行く。
シェフは、5品の魚料理を、それぞれムニエル・焼き魚などと調理法を変えたメニュ−を勧めてくれる。
フランスパン、オリ−ブのピクルス、勿論ワインも・ビ−ルもとても美味しかった。
翌日深夜メクネス到着
メルズ−ガからフェズへは夜行バスしかないと言う。メルズ−ガ17時到着、22時発のCTMバスチケット
を購入に行くと、とんでもない事にバスは残り4席だけ。もう1席どうにかならないか?と交渉するも、返事は
すげない。(夜行で立って行くのは無理だが補助席でも…)と思案していると、「ミニバスはどうか?」と言う。
私達は“6人乗りグラウンタクシ”のお粗末さを重々承知していたので、大きな荷物が乗るか再三確認すると
”OK,“と、2〜3分も経たないうちにミニバスを手配し見せてくれる。
8人乗りのこのミニバスは席もゆったりした、モロッコで始めにして最後の一番満足した乗り物だった。
値段も13,500円(バス一人1,650円)と割安で、しかもフェズ行き予定をメクネスに変更しホテルへ直行だ。
17:30ミニバスは、メルズ−ガを出発。真夜中までひたすら走ってくれる。車窓越しに空をみると、昨日の砂
漠と同じ星空だ。砂漠での一日が既に遠い昔の事のように思えた。
モアイアンアトラスを越えの景色を、見る事が出来なかったのは残念だった。
昨夜長時間、モハメットと運転手と話して、後部座席が少しだけ広い?“ベンツのグラウンタクシ−”
(4人座るとギュ−ギュ詰め)を見て決めたのに…、何故か7〜8人乗りの、ボロボロの大型の車が迎えに来て
いるのだ。多分、あれから話し合い、夫人も同行出来るよう車を変更したのだろう。
ザゴラは、マミアド以南の砂漠への入り口でもある。私達は別ルートの砂漠へ行くと決めていたので、
今日は、ワルザザ−ト〜ザゴラへ164Km走り”ドラア谷“を見るのが目的だった。
岩だらけの荒涼とした山道を走り、グランドキャニオンさながらの大景観かと思うと、今度は、ナツメヤシや
ア−モンドの花々が咲く緑豊かなオアシスに変る。そんな村を幾つか見ながら車はかなりのスピ−ドで走り
ゆっくり景色を見られなかったのが残念だった。
いざ、ザゴラへ出発(バスで時間約)
エッサウイラは、モロッコの人々が一度は行って見たいと憧れる大西洋に面した風光明美な街。
“城塞”“海”真っ青なボ−トが無造作に並ぶ漁港に、かもめが群れ飛ぶ光景は心を和ませてくれる。
今まで描いていた“モロッコ”即ち、”アフリカ・砂漠”のイメ−ジとも随分違う。
メディナの中にある、リヤドホテルも落ち着いた雰囲気だ。
夕方ホテルに戻ると、部屋に干した洗濯ものは乾燥し畳んでくれている、そんな細かい心遣いも嬉しい。
フロントの女性もメイドさんも、笑顔を絶やさず挨拶し声をかけてくれる。
12:10〜40分ランチ休憩
運転手から休憩タイムの案内は聞こえてこない。他の客は慣れた
様子で、肉を注文しバ−ガ−、焼肉…と美味しそうに食べている。
私達も店のおじさんに促され、暫くして肉を注文。
勿論、コ−ラで乾杯し美味しい!!と空腹もあり肉をパクつ
いたが、程無くバスの出発時間だ。お皿には未だ肉が、コーラも
残っている…、未練がましく眺めながら慌ててバスに飛び乗った。
今朝は快晴、雪をかぶったアトラスの連山が鮮明に見える。バスは民営で7時、12:30分発だけだ。
私達は、午前中ゆっくり過ごし、そしてアイシャにバス停に送って貰った。
バスはザゴラ発、早めに乗りこんだ私達は席を確保できたが直に満席。長距離バスにも関わらず利益優先?
で、通路には何時も20数人は立っている状態だ。
バスが猛スピ−ドで走っている最中突然カ−テンが閉められる。立っている乗客は、一斉にしゃがむ…。
ふと、道路わきを見ると“警官”が車を停車させ検察中だ。バスは止められる事無く走るが、どうやら、
“立ち席”は定員オ−バ?で注意をうけるのだろう。
日も暮れてエルフ−ド近くなると、停留所で乗り込んだ乗客?が「何処へ泊るのか?砂漠か?良いホテル
がある…」と、しつこく聞いてくる。
「ホテルは決めている」と、断ってもお構いなしだ。バス下車後にも彼らは追いかけて来た。
昨日の、熱心なツア−勧誘の若者は、早朝から既にホテルの前で待機している。
“旅人”をゲットする為には、本当に必死なのだ。
シェピ砂丘にあるホテルまで4輪駆動車で走り、途中ベルベルのテント訪問。果てしなく広がる土漠の中に
湖のオアシス。鴨らしき水鳥がのんびり…、幸い今日は青空の快晴だ。ホテル着後昼食にオムレツを頼むと
随分待たされた。今砂漠は閑散期、どうやら卵を買いに行っていたらしい。
4時、サンセットに間に合うよう、いよいよラクダツア−へ出発だ。
ラクダ引きのアリを先頭に、5頭のラクダに乗って1時間半。砂漠は何処までも、どこまでも続いている。
砂丘を上り、下り進む。砂漠の道はラクダが歩いた足跡、道の傍には”糞ころがし”が蠢き、砂に僅かな形
跡を見せてくれる。私達の砂漠の旅は、ラクダの背中に落されないよう必死にしがみつき、辺り一面見渡し
ながら進んでいく…と言うのんびりした旅ではなかった。
しかし果てしなく広がる砂漠の中で、砂丘に映る私達の影を見るとさながらラクダのキャラバン隊だ。
晴れ間も見られる内にと、チェックアウト前散歩に出かける。すると10分もすると雨、雨宿りしながら
どうにかオテルに戻るが、モロッコの後半の旅では傘は常時持参…が鉄則となった。
タンジェを出発すると整備された高速道路、乳牛が放牧された緑豊かな田園地帯を走る。
道路両サイドには何の作物を育てているのか、ビニ−ルハウスがずらりと並ぶ。暫く走ると雨。生憎の悪天候で
交通渋滞にも遭う始末だ。車の横転、衝突事故…続けて4台発見!雨の中をあのスピ−ドで走るのだ。
トラックの横転事故処理は特に大変、クスクスか何か粉の大袋が放出され飛び散っていた。
幸い私達のバスは安全運転で無事ラバトへと向かう。
ラバトへ到着するとまたしても客引きが始まった。助手席しかないミニバンに5人乗れると無茶苦茶だ。
雨の為かタクシ-もなかなかひらえない。しかし、見兼ねてか親切なCTMの職員がタクシ-を停めてくれた。
ラバトではハマムもあると言う、4☆ホテルに泊まることにした。でも、やはり街中にあり部屋代も高い。
翌日は、ハマムに行く事もなく3☆に逆戻りだ。
ムハンマド5世霊廟、ウダイヤ博物館、ロ-マ時代の遺跡シェラ博物館などを歩く。
私達のホテルの前が国会議事堂、数百人のデモ隊と警官の小競り合いが始まった。警棒を持ち追いかける
また舞い戻る。まるで陣地取り合戦しているかのような光景。しかし、怪我人もあり、民族衣装の女性が多数
参加しているのにも驚いた。
今では日本では滅多に見られない“デモ隊”に、モロッコの地で遭遇し懐かしく思えた。
航空券 (諸税含 一人分) |
84,550 |
ホテル (25泊) |
82,000 |
食費 |
28,000 |
交通費 |
27,000 |
入館料 |
7,000 |
その他 |
15,450 |
合 計 |
244,000円 |
☆ 保険料 8,000円
☆ スペイン16,000円(ユーロ使用分)
☆ ド−ハ 6,000円(ビザ代28$含む)
計30,000円
私たちの異文化体験25日間の旅も
−いよいよ ジ・エンド”−
2日目、数々の名画の舞台ともなった“映画スタジオ”“アイト・ヘン・ハッドウの要塞”へ今度は
6人乗りタクシ−で、大柄のモハメットを含め7人(助手席に2人)、前も後ろの席もギュウギュウ詰めだ。
「アラビアのロ―レンス」のロケ地として有名なアイト・ベン・ハッドウは、雨で増水している川をラバと
馬で渡る。普段雨の降らないときは歩いて渡れるらしいが、私達は颯爽?と馬に跨り、まるで映画のロケに
でも参加している気分で楽しむ事が出来た。
いよいよ今日から、日本語でメ−ルも出来るMさん宅でホ−ムステイ。
オ−ト・アトラス山脈を越えると、サハラ砂漠に段々近づいていく。平坦だった道も山脈を越える段には
ヘアピンカ−ブ続きの険しい道路を上ったり、下ったり…。草木さえ生えていないだだっ広い土漠の道端に
時おり可憐な“ア−モンドの花”が咲いている。、5時間少々のバスの旅なのに、カ−ブのあまりの多さに
ホトホト疲れてしまった。
3、”ほろ苦い思い出”ス−クの迷路マラケシュへ
カサブランカ一泊後は、エッサウイラでのんびり過ごし長時間飛行の疲れをとる事に決めていた。
そして “旅の終わり”にも同じホテルで数泊の予定。しかし、ここのホテル(3☆)のお粗末さに驚き、
翌朝早々朝食も摂らず、6:15分チェックアウト。CTM(7時発の公営バス)でエッサウイラに向かう。
公営バスは、民営に比べ高いが座席も綺麗で快適だと言う。みどり豊かな田園風景にオレンジ畑、可憐な
ピンクのア−モンドの花が咲いている。ここが本当に“モロッコ?”と、訝しくさえ思った。
尚、往路もトリポリ経由→ド−ハ(乗り継ぎ21時間あり1泊し、市内観光する。)
カサブランカ(1泊)→エッサウイラ(3泊)→マラケシュ(2泊)→ワルザザ−ト民宿(3泊)
→エルフ−ド(1泊)→砂漠テント(1泊)→メクネス(3泊)→フェズ(2泊)→シャウエン(2泊)
→タンジェ(3泊)→ラバト(2泊)→カサブランカ(1泊)→ド−ハ(カタ−ル1泊)…計25泊
旅の行程
2、カサブランカ→エッサウイラへ(バス;7時間)
9、シャウエンからタンジェへ(バス2時間)
街で学生(男)さんに突然、「貴方の国のカルチャ−が好きです。」と、恥ずかしそうに話しかけられた。
“カルチャ”とは、どうやらアニメや漫画のことらしいが、背後の4〜5人の男女学生さんもにこにこ笑顔で、
私達の反応を見ている。彼は日本語の勉強中?そうでもないらしい。
。彼ら若者に出会い簡単な英語で話す。カメラを向けると笑顔でポ−ズをとってくれる。道すれちがうと、
「ありがとう」「さようなら」「こんにちは・ヤマハ・スズキ…」と大した意味もない挨拶のオンパレ−ドだ。
遺跡や、街中での自称ガイドさんにも沢山で会った。知らない内に、いつの間にか専属ガイドに納まり
チップも強制ではなく,なんとなく自主的に払ってしまう…そんな気持ちにさせてくれる。
モロッコ地図
カサブランカ→赤線部分周遊