−無事旅を終えて−

海外を旅した時は、関空に到着した時(無事旅を終えた!!)と、安堵するのだが今回は少し違った。
あのくねくね曲がった山道を、車が崖から転落していた道路を抜けた時(無事帰れる・・)と確心した。

あれだけ雨が降ったら、山側の崖や川側の谷・岩の状況からも、日本では数日間は"通行止め”の筈だが、
インドでは、取敢えず石・岩を取り除き、車が1台でも通行可能なら、即、開通というおおらかさだ。

前半のパラ−ナス方面の旅、後半の"花の谷”ヘ-ムクンド・トレッキングと、一見異なった2つの旅は
結局は、ヒマラヤ山系から集まった水に始まり、ガンジス河
〜ベンガル湾に悠久に流れ注がれる間の、
母なる”ガンガ−”と、ガンジス河に添う”聖地”を巡る1つの旅でもあった。

インド人口11億の81%を占めるヒンドゥ−教徒の巡礼も、"花の谷”ヘ-ムクンド”トレッキングで出会った
シ−ク教徒の巡礼も、宗教・聖地の違いはあるが、どちらも、家族、友人、お隣同士でお祭りを楽しむ・・・、
と、言う風に、とても大らかで、和気あいあいとした巡礼の旅に思えた。

インドは「宗教の国」と言われている。
世界の宗教が皆揃っているかの如く、また、それらの宗教は人々の日々の生活に深く根ざしているようだ。

四大仏跡のひとつ”
サルナ−ト”は、ブッダが始めて説法した、仏教徒にとって重要な聖地。
お釈迦さん=インドと、インドは仏教の国と認識していたが、仏教徒は僅か0,5%と知り改めて驚いた。
(イスラム教12%、キリスト教3%、シ−ク教4%、他にもジャイナ教、預言者のサイババ等数々の宗教があり)

鉄道移動は、雨季でもあり、スコ−ル・落雷で大幅に遅れた。やはり、列車の遅延は日常茶飯らしい。
あの炎暑の中、待合室もなく、冷房も備わっていない満員列車!!あの逞しさ?には脱帽だ。

インドの公用語はヒンドウ-語、18の主要言語と844種の方言がある。南北でも言葉が随分違うらしく
ガイドさんも全く理解出来ない事も多いらしい。そんな時は、共通語の英語で話すと言う。

デリ−のホテルでは、始め到着時に宿泊時、1週間後の予約を試み、旅行社を通す方が安価な事を知った。
結局、手違いもあり、ホテルマンの前で、ガイド→旅行社→ホテルへ電話→ホテル代は直接ガイドへ支払った。


今回一度の旅で、炎暑の地から湯たんぽ抱える地へと、ツア−では経験出来ない2つの異なった旅をし、
ほんの少しだけ”インド”の国を垣間見ることが出来た気がする。

北インドの旅は、やはりガイドさん同行で安心した旅が、一方、”花の谷”トレッキングは、現地ガイドさんとの
トラブルもあり、又、トレッキングとしては、少々不満な点もあったが、あの大自然が、谷間の可憐な花々が、
又、あの”道”を無事通過し帰ることが出来たことが・・・、全て素晴らしい思い出に変えてくれた気がします。
また再び、アラビア海・ベンガル湾などを望める南インド方面にも旅できたらと思う。

トレッキングを企画して下さったリ−ダ、そして参加された皆さま、有難うございました。

                         完

戦死者慰霊碑 インド門
奴隷王朝が残した クトゥブ・ミ−ナ−ル

、ハリドワ−ルデリ−(200km・所要6時間)

7・8月は巡礼者が多く、道端では無料の食事のもてなしもあり、デリ−方面に歩く巡礼者の行列で

道路は何処も混雑。途中、昼食に寄ろうとした道は、巡礼者優先?で通行止め。

急遽別なレストランに変更の一幕もあった。 

巡礼者で賑う
ハリドワ−ルの街

3つの川が合流する サンガム・古寺へ
ルドラプラヤグのホテル

5バドリナ−ドジョシマ−ト(2km・2時間)→ルドラプラヤグ(105km・所要4時間30分)

半日通行止めの時間に、
 シヴァ神の寺にハイキングへ
 (片道1時間)

機織りをするマナ村の人たち

4トレッキング後ゴビンガ−ト(1,830バドリナ−ド 3,122m)10km・2時間)

 聖地”バドリナ−ド”へ向かう車やバイク、下ってくる対向車も多い中、ヘア−ピン・カ−ブの道が

 続き、狭い道路で、手作業で落下した石を運んでいる所もあり、車は、終始ノロノロ運転。

花の谷の傍を流れる川は
雨季で増水
!!
川を渡るのも命がけ!!!

2、ガンガりアテントホテル花の谷へトレッキング

1、ゴビンガ−ト〜ガンガリア(14km・5時間)
馬で上る人・歩く人・・・
濁流の川の傍をひたすら歩いて上る。
下山時はのんびり、馬鈴薯・ヒマワリ・ダリアの花咲く村の中を歩きました。

3ジョシマ−ト(標高1,890m)ゴビンカ−ト(1,830)(22km・1時間30分所要

道路は一方通行、出発時間は指定されている。下って上っての狭い道路。

途中の小さな村では、ブルト−ザで途轍もない大きな岩を、川へ突き落としている現場にも遭遇。


この道路では、翌日の日本からのツア−は通行止めに遭い、雨降るバスの中で一夜明かしたようです。

ジョシマ−トの街

2リシケシ(標高356m)ジョシマ−ト(標高1,890m)(243km・11時間所要

制限速度、時速/30km。約1,500mの標高差を上る。川側の崖に転落すれば勿論・・・、

しかし山側も、今は丁度雨季、大きな岩崩れの危険も多く、岩がゴロゴロある道路の中を走った。

(インド山岳地帯の道路事情・周辺の街と村)

インドヒマラヤ花の谷”トレッキング(編

−ニュ−デリ−の街や道路は何処でも工事中−
   
  歩道にも大きな穴!
  高く積み上げられた土の山!!
  その中を歩くのは至難の技
!!!

ジャイプ−ルの街・風の宮殿

4、ア−グラ−からジャイプ−ルへ(車1時間30分)

翌朝、715朝食に行くと、昨夕レストランで利用したグラスもそのまま誰もいない。暫くして数人のウエイタ−が
現れ、コ−ヒ、牛乳、お湯・・・をオ−ダ−するも相変わらずのんびりム−ド。ガイドも気にも留めていないようだ。

8時チェック・アウト後、タ−ジマハルへ(車5分)

ジャンシ
ガンディ火葬の場 ラ−ジガ−ト

(20107月17〜8月1日)

ガシュラホ寺院群の風景

旅の行程

北インドの旅&インド・ヒマラヤ          ”花の谷”     トレッキング

ア−グラからは、デリ−から来た車で観光しながら移動。毎日暑い最中、車は冷房完備で快適だが、
運転手は私達の観光中は冷房を止めて待機し、夜は車中で睡眠をとっていた。

ジャイプ−ルは、別名「城壁に囲まれた街」また、ピンクシティとも呼ばれ、ピンクに統一された美しい街。
「シティパレス」「風の宮殿」「ジャンタルマンタル天文台など」「アンベ−ル城」を訪れた。

洗浄作業中

旅の総費用409,650円

航空運賃(70,500円)サ−・チャ−ジ(11,500円)税金・関空使用料(6,450円)

 88,450 
 北インドツア−(ホテル7泊分・食事含む)(7/117/17) 108,200
 トレッキング費用 (7/17~8/1)  213,000

今は雨季、増水した川を渡り、水の中を歩き、花の谷へ行きました。
雨・雨・雨、往路の水嵩が増えていたのには
!!お花畑は満開でした。

ガンガリア〜ゴビンガ−ト下山時の
長閑な田園風景

アンベ−ル城 からの眺望
オ−トリクシャで ア−グラ城へ

ホテルチェックアウト後、エロチックな彫刻で有名な寺院群を、灼熱の中日陰を求めながら観光した。

サルナ−トは、ブッダ〈釈尊)が始めて説法した地、仏教徒にとって重要な聖地。午後の自由行動には
前日、外観観光したダメ−クストウパ−等に行きたく、改めて半日ツア−を組んで貰いました。

(1/50$・トゥルガ-寺院、バ−ラスト・マ−ダ寺院、バラ−ナス・ヒンドウ−大学など)

トゥルガ-は、ラマ神の妃である女神猿の神様力の神様でもある女神は、ヒマラヤ山へ薬を探しに行き、
山ごとヒマラヤ山をもって降りたと言う伝説があります。

道路沿いの風景

・・・・・(北インドの旅編・おわり)・・・・・

-はじめに-

パラ−ナスの街

−北インドの旅−編

バドリナ−ドへ

ムガル帝国の権力の象徴・ア−グラ城

デリ−観光

7ルドラプラヤグハリドワ−ル(164km・所要7時間)

ついに土砂崩れ?岩落下?による通行止めに遭遇!8時出発予定の所、1335分に漸く出発。

車は出発後も2時間全く動かず、ハリドワ−ルには随分遅い20時40分到着となった。


しかし、今日の所要7時間は、予定された時間でもあり、出発が遅れた分到着も遅れたことになる。


どうやら、インドの所要時間は、予め、事故・通行止めなどの遅れ分は織り込み済み?のようだ。

インド最端にあるマナ村 40km先はチベット
 
 

ガンガリアのテントホテル生活

1、デリ−→リシケシへ(250km・7時間所要

いよいよゴビンガ−トからの、トレッキングに向けての長いバスの旅の始まり。

バスはシート28の中型、トレッキング参加者12名とガイド1名の総勢13名で、席は1人/1シ−ト確保

可能だ。
(助手、花のガイド各1名は運転助手席利用)しかし、始め高速道路?を走っているのにバスは


左右・上下にガタン・ゴトン、天井で頭を打つほどの大揺れ!!特に後部座席では、居眠りも出来ない有様。

運転手の眠気防止の為?波板状の道路なのか?随分疲れた初日のバス移動となった。


でも、この悪路は序の口、道路は、山岳地帯に近づくに連れ益々厳しくなって行った

デリ−〜ゴビンガト−へ2泊3日のバスの旅

現在も、国会議員の マハ−ラジャ王が暮らすシティパレス
プラットフォ−ムにて

3、ガシュラホ〈車・4時間〉→ジャンシ〈列車・3時間〉→ア−グラ…車30分21・30分ホテル到着

2、ベナレス→サトナ(列車1145・到着20(1時間半遅れ)→ガシュラホ(車・22時着)

    境内で草刈る女性     カメラにおさまりチップをと…

  7月10日関空出発→デリ−1泊→ペナレス2泊→ガシュラホ1泊→ア−グラ1泊
             →ジャイプ−ル1泊→デリ−1泊 

夜のお祈り風景

エ‐デルワイス

安宿もあり

山の上に建つアンベ−ル城

ガンジス川〜の岸辺の風景

ブル−ポピ−

ヘムクンドは、シ−ク教の聖地。頂上では大勢の巡礼者・馬・馬子・・・
下山はゆっくり歩き、沢山のブル−ポピ−を見つけました。

インドの旅の最終日、官庁街に建つインド門
ガンディ記念公園などのデリ−中心部を観光

  道路・山道
どこでも
崖崩れ!!

花の谷トレッキング後、再びゴビンガ−ト〜デリ−へバスの旅の行程

3、ガンガリアヘムクンド湖(4,328m)トレッキング

・・・ゴビンガ−ト〜ガンガリア(テント5泊)〜花の谷ヘムクンドトレッキングへ・・・

ロ-プウエイ-で”アウリ展望台へ”

 晴れた日には、ヒマラヤの
ニルカンタ(6,558m)が見えるが・・・

デリ−1泊→リシケシ1泊→ジョシマ−ト1泊→ガンガリア5泊→バドリナ−ト1泊
→ジョシマ−ト2泊→ルドラプラヤグ1泊→ハリドワ−ル1泊→デリ−1泊→8/1関空へ

5、ジャイ−プ−ルからデリ−へ(車で5時間30分)

丘の上のアンベ−ル城

オ−トリクシャでファテ−スイ−クリ−(アクバル帝の城跡)へ

19年の歳月をかけて築城された、アクバル帝の城跡

水不足の為14年後には、再び首都はア−グラへ
戻る

ガシュラホを出ると、時折り大きな街、田園地帯の中を走った。州を越える時に通行税?を2回支払う。
突然ジャイナ教の預言者が一糸纏わず、裸足で歩いてくるのには驚いた。彼は5〜6人の男たちに囲まれ、
道路の真ん中を堂々と、まるで車が”預言者”を避けるのが当然と、言わんばかりに通り過ぎて行った。


ジャンシ−駅は近代的で、プラットホ−ムを行きかう女性の服装もカラフルだ。今まで訪れた街とは随分違う。
州が異なると、まるで異国の地かのようだ。混雑したホ−ムの上で、牛がウロウロしてているのも面白い。

今日の列車は新幹線、車内では軽食とペットボトル1本配られ、デリ−に向かう人には豪華弁当付きだ。
途中エンジンのトラブルで、列車は30分の遅れあり、
ホテル到着2130

雨季になり 出来た川 もうすぐワニワニも・・・
パラ−ナスからサトナへ
ペナレスの駅の混雑ぶりは凄い。14〜5両の長い列車が、プラットホ−ムに入ってくるや否や、
家族分の席を確保する為?、デッキに飛び乗り、落ちないようしがみつく。当に命がけの席とり合戦が始まる。
発車した車両を見ると、立っている人も多く、必死の席取りも頷ける。指定席以外には勿論冷房も備わっていない。
私達はガイドの後を追って歩いたが、
ごった返す人ごみの中、自分の席を探すのも大変だ。
 
座席はコンパ−トタイプの3人掛け夜は寝台車になり、西インド、ムンバイ行きの列車でもある(26時間所要)
途中、土砂降りの雨に遭い、徐行運転した為か、列車は1時間半も大幅に遅れた。
サトナ20時着後、車でガシュラホに向かう。運転手はまるで列車の遅れを取り戻すかのように?道路では
牛がウロウロし、寝そべっている中を、かなりのスピ−ドで走った。ホテル22時の到着(予定より1時間早い)

 
今日のホテルは、サ‐ビスで(閑散期?)ワンランクアップしてくれた高級ホテル(何時も三ッ星ホテルを利用)
途轍もなく広く、高級感溢れるフロント・・・、しかし、客は私達を含め5人?ガラ−ンとしてとても寂しかった。
翌朝、周辺を散策していると、一見牧草地?のような滑走路、そこは飛行場だが、飛行機は1機も見えない。
デリ−から1日/1〜2便あり。(シーズン中は4〜5便)4,5月は暑い為欠航になるようだ。
駅裏近くの牛たち

パラ−ナスの駅前あれこれ

@  デリ→バラ−ナス2(飛行機140人前後のシ−ト・所要1時間15)

インドは、以前から行ってみたいと思っていた国でした。
今回、インド・ヒマラヤ花の谷"トレッキングに、インドの地名に魅かれ参加を決めました。
しかし、トレッキングにはインドを訪れる大半の人が旅するル−トが入っておらず、関西から参加の私達3名は、
トレッキング開始前の1週間、北インド個人旅行を企画しました。

 
当初、1週間の北インド”個人旅行と、安易に考えておりました。しかし、旅の計画を練っていると
インドの列車はネットで予約していても、乗れないことがある。
列車・バスの便数も少なく、遅れることも多い。
今は灼熱の時期、暑い中,駅や列車・ホテルを探すのも大変・・・など不安材料も多く、


急遽インド出発10日前に、東京のバイシャルトラベルに(LSC関西のHPからKさんの旅行記を参考)
見積もりを依頼しました。その後、何回かのメ−ルのやり取りの後、旅程表が届いたのは出発3日前、
又、出発当日にガイドの変更の連絡があり、本当に慌ただしい旅立ちとなりました。

温泉もある寺院
巡礼者で賑う
聖地・バドリナ−ド

(2010・7月10日〜8月1日)

インド最端にあるマナ村

ガンガリア〜ゴビンガ−トの村で
地下街にあるバザ−ル

午前中、アルベ−ルの山城を観光し、14時デリ−へ向かう。
今日は車内観光で走るだけ、途中、宝石・インド更紗の店等にに案内され、19時デリ−到着

ホテルは、デリ−到着時に宿泊した、トレッキングで集合するホテルでもある。ホテル料金は、直接フロントで
依頼するより、旅行社を通じた方が安いと分かり、急遽、ガイド→旅行社→ホテルへ予約の電話して貰う。
そして、ホテル代金はガイドに直接支払った。(2,000円位安くなり1泊/1人8,000円)

アンベ−ル城へは ゾウのタクシ−で

サルナ−ト観光(パラ−ナスから車で1時間)

駅裏そばで

バラ−ナスのガ−トに、早朝ボ−トで沖合に、夜には”ヒンドウ−教のお祈り風景を見に行きました。

観光客を待つ   運転手さんたち
   デリ−〜バラ−ナスヘ
バラ−ナスは、ヒマラヤの水を集めたガンジス河が平原を流れ、シバ神の額に架かる三日月型に曲がる処に
位置する、ヒンドウ−教最大の聖地・
シバ神”の聖都。パラ−ナスの命であり、インドの母なる大河“ガンガ-”にはあちこちから様々な階層の人達が、現世の差別を離れ、聖河に浸りたいと巡礼に訪れます。

ガイドのスニ−ルさんも、子供が生まれた時の産湯に、誕生日にと、家族と一緒に巡礼に来たとのこと。
病に伏しながらガンガ-の傍で死を迎えたい。死後の灰を流しに訪れる人達など、ガンガ-への巡礼は様々です。

早朝ガ−トに行き、ガンガ−から昇る太陽を眺める・・・。私達もガートからボ−トに乗り沖へ出ていくも、
生憎のくもり空で太陽は臨めませんでしたが、
うす靄のかかる水豊かな大河、ガンガ−で、敬虔に祈りを捧げる
人達の沐浴風景は神秘的であり、"母なるガンガ−”を実感することが出来ました。

インドヒマラヤ花の谷”トレッキング(編

 →7/17デリ−1泊→リシケシ1泊→ジョシマ−ト1泊→ガンガリア5泊→バドリナ−ト1泊
 →ジョシマ−ト2泊→ルドラプラヤグ1泊→ハリドワ−ル1泊→デリ−1泊→8/1関空へ

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