9 ゴ−キョ・ロッジ(4,790m)→マチュラモ(4,410m)…1泊
ゴ−キョ登頂を無事達成し、これからの行程は再びルクラへ戻っていくだけだ。帰途、ゴ−キョへ向かう日本人トレッカ−に
「エベレストは見えたのですね。」「顔を見ると分かった。」と話しかけられた。きっと私達は満面の笑みで歩いていたのだろう。
行きかう外人トレッカ−にも、「エベレストは素晴らしかった!!」と、何度誇らしく語ったことか、足取り軽るく歩を進めた。
しかし、今日の宿泊地も高山病の危険性もある高度だ。 少しでも早く4,000m↓におりる事を願った。
8、ゴーキョ−村→ゴキョ−ピ−ク(5,360m)へ→下山後マチュラモへ(4,410m)へ・・・1泊
昨夜は雪も舞う寒い夜だった。「明日はエベレスト見えるかな?」と、心配していると、シェルパ−の一人が、
「夜、雪で冷え込むとエベレストは見える」と、断言してくれ嬉しかった。
3時 起床、チャイとクッキの軽食
4:10分出発 満天の星空の中、懐中電灯で足元を照らしながら歩く。
5時頃、星も消え、夜明け前の薄暗い空になる。
6時 雪山ピ−クを太陽が照らし始める。
6時45分太陽が完全に昇る
何度も何度も立ち止まり大きく深呼吸、酸素吸入の助けをも借りながら、カメが歩くが如く、一歩一歩足を進めた。
2011・5・1日・7時10分,先陣組登頂!!8時10分全員登頂!!
ゴ−キョ−・ピ−クは正しく“360度パノラマの世界!!素晴らしい!!!
Mt・エヴェレストは勿論、ロ−ツエ・マカル・チョユ−等の8,000m級の全てのヒマラヤの山々が、
朝陽に照らされ神々しく輝く。ただ言葉もなく、暫し興奮の余韻にひたり、ヒマラヤの山々を飽くこととなく堪能する。
8時45分、Mtエベレストが完全に雲に隠れ、下山開始。
10時15分、ナマステロッジ到着
念願の“エベレスト”を、山々を、しっかり眺望し、満足感に満ち溢れていた。昨夜あれだけ暗雲とした湖が、
岸辺にさざ波を打ち寄せ、 とても青く穏やかだった。無事登頂した私たちを、まるで祝福してくれているかのように・・・
11:30再びマチュラモへ下山開始
3 パクディン→モンジョ(2,856m)→ナムチェ・バザ−ル(3,440m)歩行距離:9km…高度順応の為2泊
ナムチェは”シェルパの里“でもある。私達に同行してくれたシェルパ5人はルクラに近いジリの出身。近いと言っても
歩いて2〜3日は要するようだ。(同じ村でも、お互いの家は、徒歩1〜2日)
名字は5人皆「シェルパ」、従って、名前の「ジャンブ−」「ラクパ」「テンジン」…と呼び合う。
ナムチェ迄は、エベレストへのメインコ−ス、カラパタ−ル方面と同じ行程で、向かう人、下る人や荷物運搬の”ヤク”,
ポ−タなどと、行きかう人々で賑やかだった。
ナムチェでは2連泊し、エヴェレスト・ビュ−ホテルへのトレッキング(3,850m)と、博物館見学で高度順応を図った。
頭をバンドで固定し
荷物を背負って見た重い!!
この荷物を十数日間も
運んでくれていたのだ・・・
14、モンジュ→ルクラへ(2,840m)行程 13Km…1泊
今日は、いよいよ始発点のルクラへ向かう。
ロッジの傍には川が流れ、渓谷の谷間には麦・ジャガイモ畑が広がる。高地では目にする事の出来なかった光景だ。
私達の食料は一体何処から運んで来るのだろう?“ヤク”がジャガイモ・玉ねぎ・人参など運ぶのに何度かで会ったが
ここの地の作物は、まだまだ当分食べられそうもない。
怪しげな雲行きで天気も心配もされたが、今日も雨に遭うことなく、吊り橋を何ども渡り、
15時20分無事ルクラ到着。到着後、暫くすると、また雨。雨は激しく降り夜中まで続いた。
振り返ってみると、トレッキング中、毎日がこんな具合の天候だった。幸い、歩いているときは雨に殆ど遭わなかった。
何時もロッジに到着後、雨が、雪が降り出す。天候に関しても、私達は随分ラッキ-だった。
早めの夕食の後は、“お別れパーティ”。トレッキング中15日間サポ−トしてくれた、ポーター、シェルパの人たちとも
いよいよお別れだ。ビールで乾杯し、“ゴーキョピーク登頂達成”のお祝いのケーキのローソクを吹き消し、
ロッジの娘さん達も参加してくれ、“ピッサピリリ−”の歌や踊りを、心行くまで楽しんだ。
11、 ポルテス・デンガ−→ポルチェ(3,810m)→タンボチェ(3,860m)・・・1泊
昨日の雨もあがり、今朝は快晴。7;20分出発
谷間から一気に上るとポルチェだ。アメルダム(6,814m)が、まるで立ちはだかる壁かのように聳え、出迎えてくれた。
ここは昨日宿泊予定だった地で,遥か遠くにチョユ−(8,200m)も見える。高く、険しい山に囲まれ、山の斜面に
家々が並び、人気もあまりない。まるで桃源郷のような静かな村、素どおりするには勿体ない村で少々残念だった。
ポルチェからタンボチェへは、シャクナゲロ−ドを下って行く。エベレストの雪解け水が流れる川を、橋を渡り
又渓谷を登る。“往路は下り”なんてとんでもない勘違いだ。今日も起伏の激しい行程だった。
11;30分タンボチェ到着 午後雨がパラパラするが直ぐ止んだ。空気は相変わらず冷たい。
10、 マチュラモ→フォロツエの予定をポルテス・デンガ−(3,630m)に変更…行程7,5km・・・1泊
ゴーキョ登頂から一夜明け、これから下って行くだけと思うと、本当に気が楽だ。(結構上りも多く、急坂だったが)
8時出発前、ウクライナ−からのトレッカに、一緒に写真をと話しかけられた。チェルノブイル近くに住む6人グル−プで
原発汚染問題で揺れている日本人と知って声をかけたようだ。
当初の計画では、谷を挟んだ向い側の道を歩く予定だったが、がけ崩れ・悪路が予想され、往路と同じ行程となった。
12:10分ポルテス・デンガ−到着…泊
午後、雨が予想され、昨日のゴキョ−・ピ−クトレッキングへの疲れもあり、予定変更して往路と同じロッジ泊まりとなる。
案の定、2時30分雨がふり始める。雨になると、いつも所在なくスト−ブを囲み雑談だ。
メキシコから一人旅のトレッカ−は、カンク−ン→カトマンヅに飛行機で24時間要。職業は?と問うと「トラベラ−」と言う。
広島からの75歳の開業医Drは、シェルパ-・クッカ−・ポータ-等総勢9人を伴として、予てから念願のエベレストを
見に行く途中だ。寒さ・高度順応に不安を示されたが、私達の励ましに「勇気付けられた」と、随分喜ばれた。
30数人の遭難碑
6、ドーレ→マチュラモ(4,480m)・・・2泊(高度順応)
少し遅めに8時出発、空気は冷たい。青空の中、トムチェルク・アムダブリンの雪山ピ−クを眺めながら歩く。
途中ルザ(4,470m)で休憩し下り、再び上る
12:15分マチュラモ到着 陽も照りぽかぽか陽気の中、ソ−ラのお湯で行水、洗髪、洗濯する人などと大忙しだ。
しかし2時間もするともう雲空、冷えも急速でスト−ブが離せない。
翌日9:05〜11:45分、高度順応の為バンカ−ピーク(4,600m)へトレッキングする。
ニ−ルカン、タウチェ、チョユ−(8,200m)のピ−クも見せてくれた。しかし、午後には突然暗雲の空!
“あられ”も降り出し、本当に天候の移り変わりが激しい。
”シェルパ−の里・ナムチェ”
歩く事が生活であり、
歩かないと何も始まらない
そんな村です
皿洗いを手伝うこども
(学校には行っていないようだ)
ルクラ到着は早朝であり、そのまま次の村に向かうことは可能だが、私達は高度順応の為、ゆっくり村の中で1日過ごした。
折しも丁度村では盛大なお祭り・イベントがあり、カトマンヅから大臣も来られるとか、制服姿の子どもたちや、
着飾った村人たちが総動員?と思われる程の隊列で空港へと往来していた。
広場では一日中、踊り・歌などが賑やかに催されていた。
ここは、仏教信仰に篤いシェルパ族の地、民族衣装も宗教毎に異なり、カラフルな晴れ着が、山間の地にとても映える。
険しい渓谷・谷間に、色彩鮮やかな晴れ着姿の村人たち、青空・風になびく”タルチョ“、まるで異次元の別世界!!
明日から始まる未知の世界に向かっての“トレッキング”に、改めて不安と期待で胸いっぱいとなった。
1、カトマンヅからルクラへ(2,840m)・・・1泊(高度順応)
4時起床、6:30分出発→7時ルクラ空港着(12〜13人乗り飛行機)
ルクラは、エベレストトレッキングの起点となる村。空港は深い渓谷の山間にあり、滑走路は斜面を上手く利用し、
着陸は急斜面をブレ−キにし、離陸は斜面を下り加速する。
飛行機は山岳地帯の為、ガスの発生が少ない早朝を見計らい、ピストン飛行している。
空港をでると、民族衣装を纏った村人が出迎えて、私達トレッカ−にスカ−フを首にかけてくれ、歓迎の挨拶だ。
●近くのタル族の村迄ウオーキング・・・どうやら牛に食べさす草刈りをしていた人たちの村らしい。
タル族は農耕に適したチトワンのみに在住し、近隣の丘に住む人たちと言語・住居・生活様式が全て異なる民族。
とても長閑な田園風景の中に、これから栽培を始めるようで、バナナ、マンゴ等の苗木の植え付けもみられた。
この村を歩いて、今回のチトワン巡りの中で一番よかったと思う。
―トレッキングを無事終えてー
「登山する人は、一度は絶対この景色をみるべし・・・」これは、トレッキング中出会い、今も世界一周中の若者
Sさんの、エベレスト街道初日の感想です。私も全く同感!!一度歩いて、是非この景色を見て欲しい!!
登山の経験がなくても、、ハイキング程度の 山歩きの経験があれば・・・、私はトレッキングは可能だと思う。
ただ、、高度順応を図れる、ゆったりとした日程を取ることは必要だが・・・。
私達は、高山病予防対策として、3,440m、4,440mの地で2連泊し、また、初日のルクラでは、飛行機で
1,000m→2,840mと、高度を↑した事を考慮し、早朝の到着で移動も可能だったが、高度順応の1日をとった。
高山病の兆候に苦しんだトレッカ−の話からも、このルクラでの1泊はとても有効で、又、天候を、道路の状況に応じて
コ−スを、宿を随時変更できた事も良かったと思う。
4年前のトレッキングの時と随分変わっていた面もあった。今回はテント泊している人も見かけず、クッカ−の同道はなく、
食事はロッジで注文した。一番驚いたのはシェルパ−が皆”携帯電話”を持っていた事。その代わりに?だろうか。
彼らは、トレッキング閑散期には、日本へ、ドバイへ出稼ぎに・・・と、これからも随分彼らの生活も変わって行くことだろう。
「ヒマラヤはあなたを変えた。しかし、あなたはヒマラヤを変えないで欲しい」
これは、国立公園ミュウジアムのポスタ−に、書かれていた言葉である。あの荘厳で、神秘的なエベレストを仰いだ時、
ヒマラヤの山々”の自然は、地球に与えてくれた大切な贈り物である事を実感し、今、地球環境が地震・津波・原発問題
などで大きく揺らいでいる中、改めて考えさせられた。
ゴ−キョ・ピ−クから、”氷河“が失われて行く現実も目にした。草木さえ生えない高地では、”ヤクの糞“を乾燥し、
燃料にする。しかし、薪の火力の方が断然強い。その為、道中、私達を和ませてくれた、花咲く“シャクナゲ”の幹も薪に
なっているのだと言う。あの可憐な石楠花も、何時か消え、この雄大な自然も失われてしまうのだろうか。
文明とは程遠い村々の生活も確かに未だあった。桃源郷のような村々、自然・人・動物などが溶け合った素朴な生活。
“自分の足で歩かなければ、何処にも行かれない。何も始まらない・・・。
大きな感動を与えてくれた、自然の大切さを教えてくれた”ヒマラヤ” いつまでも、いつまでも・・・変わらないで欲しい。
13、クムジュン→ナムチェで昼食後→モンジョ(2,835m)…1泊
クムジュンの学校の傍を通ると、校庭の隅では丁度幼稚園児のお遊戯が始まっていた。クムジュンに、子どもたちに、
別れを告げ、学校の直ぐ側の急坂を一気に上ると、再びあの“Mt・エヴェレスト”が雄姿を見せてくれる。
いよいよこの山とも、今日を最後にお別れだ・・・。ゆっくり休憩し、心ゆくまでエベレストを、山々を眺めていた。
7、 マチュラモ→パンカ−(4,550m)→ゴ−キョ−(4,790m)行程7km・・・1泊
マチュラモのロッジには、医師が高山病の兆候?がないかどうか訪問してくれた。近くにヘリポ−トがあり、派遣された
医師は随時交代しているようだ。今日は、当初の計画では、パンカ−1泊の予定を変更し、いよいよゴ−キョ−へ向かう
昨夜は北斗七星も見せてくれた星空だったのに…、生憎の曇り空。空気も冷たい。
7時30分出発、ロッジの裏山を一気に上るとパンカ−が、1軒宿?のロッジが見え、近隣の家もなく何だか寂しい村だ。
ロッジの近くには、10数年前、日本人のツア−30数人が遭難した慰霊碑が建っている。
今は雪もなく、この地で、雪崩の為多くの人が亡くなったとは、想像さえ出来ない長閑な場所だ。
雲の垣間にチョユ−(8,200m)が見えてきた。しかし、暫くするとそのピ−クも、あっという間にガスで消えてしまった。
冷気の為かそれほど息苦しいとは感じないが、空気は流石に薄い。
第3の湖で、17歳のポ−タに出会った。彼はオイル・ビ−ル缶90kg〜100kgの荷物を、ナムチェ〜バンカ−1泊
〜ゴ−キへ運ぶ最中だ。(運搬料約5,000円)「頑張って!」と、ゆで卵の差し入れに、嬉しそうに終始笑顔。
荷物はリュック1つに、雨具・飲み物だけの身軽な私達なのに、フ− フ−喘いでいる。随分滑稽だ。
13:30無事到着。
しかし、今日出会った、下ってくるトレッカ−達、皆一様に、「ガスでエベレストは全く見えず」と首を横にふる。
明日の幸運を祈るのみ!!
シェルパ−のラクパは大学生、実習生として調理も担当
5、 ポルテス・テンガ−→ド−レ(4,200m)・・・1泊
あれだけ降った雨もあがり、早朝5時には青空、雪山ピ−クも見せてくれた。今日の行程は、マチュラモ(4,480m)迄、
7、5Kmの予定だったが、昨夜の雨、又標高差もありドーレ泊まりに変更。途中、石段の道が崩れ、修復作業中だった。
何処から?緊急出動で来たのか,4〜5人の作業員が、全て手作業で、急斜面に転ぶ大きな石も一人運び上げていた。
7:30出発→10:30到着と早い到着で、近くの川で洗濯し、休養デイ-となった。
日・時:2011年4月21日〜5月14日(5月8日〜11日・チトワン巡り)
山の頂上に(3,860m)あるタンボチェ・大きな寺院が、僧院が、修業僧が・・・、こんな山の中に?
5/11 チトワンから帰る間際に、バスが、それも私達のグリ−ンバスだけがストライキには晴天の霹靂!!
ガイドのKUMARUがオーナ−と相談しながら、あちこち電話してバスを見つけてくれた。
そのサイバ−バスが通る町まで車で1時間、そして待つ事1時間、漸く10時10分発の冷房なしのオンボロ満員バス
(520円・グリ−ンバスは15ドル+手数料10ドル)の最後部座席に席を確保した。しかし、席は前に傾き、
座り心地悪く天井で、窓で何度強打した事か・・・。こうして、6時間余りのバス旅を無事終えカトマンヅに到着。
翌日、カトマンヅで旧王宮美術館を観光していると、大勢のデモ隊に出会った。(グリ−ンバスのデモ隊?)
そして、今度は帰国時にはタクシ−が全車ストライキ−と言う。
でも、もう少々の事では驚かない。人力車に3個荷物を乗せ(340円)、今度は政府が用意してくれたバスで(120円)
空港へ、そして私達3人の、アクシデント続きのチトワン観光も−も無事に終わった。
●夕方、1時間のエレファントサファ−リを楽しむ。(ここがジャングル?村外れの林道にしか見えなかったが…)
途中、ライオンの”足跡”を見せてくれる。(ライオンは夜中に、食べ物を探しに村に出没しするらしく、人前に姿は見せない。)
●翌朝、小鳥の囀りで目覚め、7時〜昨日と同じ道?をウオ−キングに行くと、草刈りから帰る女性7〜8人に出会う。
●カヌ−体験では、ボートが岸辺に着くと、再び草刈りを済ませた女性が、大きな草束を夫?に渡し、自転車に積んで帰る
光景がほほえましく感じられた。どうやら、草刈りは女性の仕事らしい。
●ジャングルツア−(17時30分〜約3時間ジ−プの屋根の上から)
収穫は、サイ2頭(545頭いるらしい)と、鹿数頭・イノシシ1頭、クロコダイル2匹(池の波紋のみ)だけだった。
トラ(100頭)ライオン(200頭)などの動物がいるらしいが。(最近、動物保護区の頭数調査があった)
帰途、クロコダイルの養殖場入館し、沢山のクロコダイルを見学。
チトワン公園めぐりは、往復バス利用で3泊4日で宿泊予約し、公園直ぐ傍のロッジでのんびり過ごすことにした。
5/8 カトマンヅ7時45分発→チトワンエコ−ロッジ14:10着(54km)
カトマンヅの街を抜けると、道路はだんだん舗装もされていない山道。途中ポカラからのバスとも合流し、乗り換えとなる。
私達のグリ−ンラインズバスは、リゾ−ト・休憩所も持っており、ランチ時間もゆったり取ってくれ、とても快適な旅となった。
エコ−ロッジ到着すると、ガイドのMrKUMARUは「3日間、客はVIPの貴方達だけ」と、スケジュ−ル表を示し
チトワン公園めぐりの案内をしてくれた。
12、 タンボチェ→クムジュン(3,780m)・・・1泊
早朝、遥か遠くにエベレストの山々がそびえる。6:30分太陽が昇り始め、ゴ-キョ-でみたあのMtエベレストピークが
薄靄の中に姿を現した。今日の宿泊地と標高差はあまりない。下って、上って、下って…と、変化に富んだ行程だった。
後は、下ってルクラへ戻るだけと、気楽に考えていたからか、結構きつかった。
しかし、道端の深紅・ピンク・白…と、緑に映えるシャクナゲ花々が心和ませてくれ、随分元気づけられたようだ。
13:30分クムジュン到着。
クムジュンはかなり大きな集落。何故?こんな辺鄙な地に…と、つい思ってしまう。そんな山の中に家が並ぶ。
ロッジのすぐ前が村の中心で学校がある。人口1,200人、学校に、3才から高校生400人が在校するという。そう言えば、
昨日タンボチェからの上り、学校帰りの走ってくる子供たちに出会った。校内には寄宿舎もあり、かなり遠くの村の子供たちが
在学しているようだ。放課後、先生に散髪してもらう子供たち、朝は、自分たちでそれぞれ食事の準備をしていた。
Gokyo Peak 登頂(5,360m)おめでとう
”お別れ”パ−ティ
マチュラモでは、高度順応の為に裏山のパンカ−迄、トレッキングを楽しんだ
ド−レ到着後、午後からは急に冷え込む・・・、毎日がそんな天候だった。
・モンラ(3,975m)でランチ
一気に↑、また↓
2, ルクラ(2,840m)→パクディン(2,610m)行程7km…1泊
いよいよ、トレッキングの始まり。それも今日の目的地の標高は210m↓。しかし、下って上っての山道だ。
朝夕は冷え込むが、日中はポカポカ陽気の天気、歩き始めると直ぐに、ダウンを来ている事もあり汗ばむほどだ。
AM8時スタ−ト→ゆっくりランチタイムを取り、14時ロッジ到着。本当にのんびりとした初日だった。
ロッジでは、香港からの女性トレッカ−が一人、エベレスト・ビュ−ホテルで高山病の兆候あり、十数人の仲間と
離れ一人下山中とのこと。英語で、中国語で国際交流の場となった。改めて、高山病に要注意!!
●ロッジでの生活ガイドから1日の説明を受け始まる。食事は毎食ボリュム−もたっぷり、美味しかった。
ウエイタ−2〜3人、ガイド、オ−ナ−らしき人、そして昼間は各ロッジの通路を舗装する為に5〜6人の人夫が、
加勢し、手動のコンクリ−ト・ミキサ−?でこね、道を固めて行くさまがとても興味深かった。
又、3泊も滞在した私達は、余程“VIP”だったらしく、「次はいつ来るのか?ブ−タンへは、車で6時間で行ける。
何時でも案内する」と、、ガイド、オ−ナ−から何回も勧誘を受けた。
15、ルクラ→カトマンヅへ
昨夜の雷雨も嘘のように青空も見せてくれ、カトマンヅへ向かう。飛行機の発着は大幅に遅れ、私達の飛行機も、
1時間遅れの出発となったが、9:00無事到着。山の天候は”本当に変わりやすい”つくづく思った。
4、 ナムチェ→ポルテス・テンガ−(3,630m) 歩行距離:7,5Km
ナムチェ迄のトレッキング中、世界一周旅行中のSさんご夫婦に、ルクラ〜モンジュで出会い、その後も何度か顔を合わせた。
彼らは1月に日本を出発。一番訪れたい地が エベレストとパタゴニアだと言う。
そして、先ず憧れのベレストにガイドなしで、二人だけで荷物も担ぎ、トレッキング中だ。
カラパタ−ルに向かいエベレストを望む彼らとは、この地でお互いの登頂を、安全を願い別々のコ−スとなった。
今日の行程は、昼食のボウダハ(3,975m)迄上ぼり、その後下る、かなりアップ・ダウンのある道が続く。
昨日訪れた、エヴェレスト・ビュ−ホテルや、カラパタ−ル方面の村タンボチェ、 雪山ピ−ク“クスンガン””タムジェルク“など
すっかりお馴染の山々が眺望できる。
13:50ロッジ到着 到着後かなりの雨が降り始め、雨は夜中まで降り続いた。
旅の行程:
関空4/21(0:30発)→バンコク(4:20着 10:15分発)→カトマンヅ(12:25分着)・・・カトマンズ1泊
カトマンヅ5/13(13:30発)→バンコク(18:15着 23:30発)→関空 (5/14 7:00着)
トレッキング行程
カトマンヅ6:30発(1,000m・飛行機30分)⇒ルクラ 7:00着(2,840m)…1泊(高度順応)
→パクディン(2,610m)行程7km…1泊→ナムチェ・バザ−ル(3,440m)行程9km…2泊(高度順応)
→ポルテス・テンガ-(3,630m)行程7,5km…1泊→ド−レ(4,200m)行程7,5km…1泊
→マチュラモ(4,410m)…2泊(高度順応)→ゴ−キョ−(4,790km)行程7km…1泊
ゴ−キョ−⇔ゴキョ−ピ−ク(5,360m)往復6km・ゴ−キョ村→マチュラモ(4,410m)行程7km…1泊
→フォロステの予定をポルテス・テンガ−(3,630m)に変更…1泊−→タンボチェ(3,860m)…1泊
→クムジュン(3,780m)…1泊→モンジュ(2,835m)…1泊→ルクラ(2,840m)…1泊
ルクラ(飛行機)⇒カトマンヅ…1泊
※ロッジ15泊・カトマンヅのホテル2泊
関西から参加の3名は、チトワン観光〈3泊〉→カトマンヅ2泊し、カトマンヅ観光後5月13日帰国の途に着く。
−はじめに−
LSCお誘い“ネパ−ルトレッキング”には2回目の参加になります。
前回のアンナプルナ東街道トレッキングでは(2007年10月18日〜11月7日)5,416m高度のトロン峠越えも
経験し、ネパ−ル・ヒマラヤの大自然を満喫しました。しかし、肝心のMtエベレストは飛行機の中から、ちら−と見た?
記憶しかありませんでした。今回のトレッキングは、ゴーキョピーク(5,360m)の他、数か所で、あの “エベレスト”を、
チベットでは「大地の母神」とも呼ばれる、世界最高峰の“チョモランマ”を眺望できることを知り、参加を決めました。
トレッキング・チトワン観光総費用:298,790円+43,000円
航空券関係:110,375円(航空券:88,800円、サ−チャ−ジ:12,500円等)
トレッキング関係総費用:188,415円(カトマンヅ⇔ルクラ往復航空券、宿泊費・雇用者チップ等)
チトワン観光費用;43,000円(カトマンヅ2泊分含む)