アウシュビッツに着くと多勢の人でごった返していた。
私達は、英語ガイドグル-プで見学する。(運転手は、日本語ガイド付きとの勧誘だったのだが・・・)
しかし、一歩アウシュビッツの空間に入ると、英語が十分理解出来なくとも・・・、その場にいるだけで十分だ。
まるで家族旅行にでも行くかのように連行され・・・、高く積み上げられたトランク、靴、メガネや毛髪などの
遺品の数々を、数百人もの人々の命を運んだ"2本の真っ直ぐ伸びた線路”を目の当たりにし、
悲惨な歴史の重みを痛感せずにはいられなかった。
多勢の見学者にも関わらず、当然の事かも知れないが、誰一人私語もない。ガイドさんの一語一語の
説明に静かに耳を傾けていたのが印象的だ。
4、プラハ⇒ザルツブルグへ(7時間・48,80?)
ここクラクフでも、先日の大統領航空機墜落事故後、数日間?労働者はストライキ-(仕事を休む)
していたと、タクシ-運転手が教えてくれた。
ヴァヴェル城大聖堂には大統領の遺体が安置され、訪れる人々が、悲痛な面持ちで敬虔に
祈りを捧げていた。ワルシャワでの大統領官邸前の葬儀の模様の写真と共に、強く印象に残った。
帰途、日本美術・技術センタ-”マンガ“館(安藤広重、北斎等7,000点の日本美術のコレクション
が展示されている)で、下車するも、ここも最近閉館されたようで残念だった。
又、ナチス・ドイツの強制収容所で、あまりにも有名な”アウシュビッツ”がある街である。
翌朝、チェックアウト後荷物を預け、バス停に行くと早速タクシ-の運転手につかまった。「列車・バスでの
観光は時間がかかる。タクシ-での周遊はどうか?(約6,000円))」と、強引に勧める。天候も不安定で
雨模様でもあり、結局タクシ-で行くことにする。(直行バス往復600円/1人・片道1時間40分要)
約40分長閑な田園地帯を走りながら、ドライバ-はガイドもしてくれた。クラクフには、それほど広くも
ない街に360ものカトリック教会がある。ポ-ランドは王宮はあるがキングはいない。キングは全てマリア、
今日は日曜日、後は夕方妻と教会へ行くだけなので、1日ゆっくりガイド出来るという。
強制収容所では450万人もの人が犠牲になった。(書籍には150万人と記載あり)
又、アウシュビッツへの訪問者は、①アメリカ人 ②ユダヤ人 ③日本人の順に多く、
ヒトラ-・スタ-リン・アメリカ(原爆投下の為)を三大“クレイジ-イ”と説明してくれた。
13:30クラクフ着
クラクフ一泊後は、22:11発の夜行でプラハへ向かう予定、その為、駅前のポロ-ニアホテルへメ-ル
していた。しかし、ここも予約はコンファ-ムでなかったらしい。空室があったので宿泊はできたが・・・。
クラクフは、ヴァヴェル城・大聖堂・旧王宮等の中世そのままの旧市街の街並みが残された古都。
大戦で建造物、町並みが破壊された”ワルシャワ”の街とは対照的だ。
翌朝、コノピシュ城へ(プラハ本駅からバスで1時間)
汽車・バス乗継で行く方法、1日バス観光ツア-もあったが・・・、私達は直行バスで行くことにした。
予めバスの運転手に、「コノピシュ城へ行きたい」と、告げていたので、11時過ぎ下車を促された。
しかし、そこは家一軒ない野原の中、帰路のバス停すら見えない。遥か彼方の山に“コノピシュチェ城”
らしき塔は見えるが・・・。雨脚が急に強くなった。とにかく歩こう。誰一人歩いていない。野原の道から
森林の中を30~40分は歩いただろうか。森の中でコシノピシュ城が現れた時は正直ほっとした。
英語ガイドツア-で城内を見学しながら、帰りの交通手段の事が気になって仕方なかった。
最寄り駅までのバス停を訪ねても誰も知らない。観光バスか車で来るところらしい。
ガイドツア-が終わり、皆に付いて行けば、誰か一人位バス停に行くかも・・・、と思っていると
1組の夫婦が城から下り始めた。しかし彼らは車で旅行中、チェスケ・ブディエヨンツに行くのだという。
私達はプラハから直行バスで来たが、そこのバス停は遠いので、電車で帰りたいが・・・と、話すと、
駅まで乗せてくれるという。雨脚がだんだん強くなる中、親切なフィンランドの人に会えて感謝・感謝!!
奥田 知巳・詳子
日 時:2010年5月26日~6月23日
旅の行程:ワルシャワ3泊→クラクフ1泊(ポーランド)→プラハ6泊(チェコ)→ザルツブルグ4泊
→ウイ-ン4泊(オーストリア)→ブラスチラヴァ1泊→コシツエ2泊(スロバキア)
→ブタベスト5泊(ハンガリ-) 計26泊+車中1泊
-カルルシュティン城へ-
今朝も小雨、天気が良ければチェスケ-へと、思ったがカルルシュティン城へ変更だ。
プラハから電車で1時間(往復500円)下車後2kmの道、雨もやみ歩いて行った。
カルルシュテェイン城は、緑の美しい丘陵地帯にある古城、城内の高台からの景観も素晴らしい。
12時の英語ガイドツア-を申し込むが、グル-プはいつの間にか出発しているというハプニング、
とり残された私達4人、慌てて追いかけグル-プに加わった。
プラハ滞在初日の”目的”でもあった”シニア割引の1カ月定期券”(約1,200円)を手に入れ
嬉しくて、早速行動開始だ。プラハ城観光美術館・博物館・塔からのビュ-等は勿論、教会で催された
音楽会にもシニア割引が適用され多いに有効活用し、随分得した気がした。
列車は、プラハ→ウイーン→ブタベスト行きでもある。乗り過ごしも心配されたが、各車両に車掌が
待機し切符も預かり下車時起こしてくれる。キ-ロックの確認やトイレの水の流し方まで教えてくれ安心だ
予め予約していたホテルは駅から約1Km強、石畳の街を地図片手に歩いて行った。
途中親切そうな若者2人、地図を見せると“遠いので電車で行けと反対方向を教え、
更にチップを催促する始末。あまりの厚かましさにあきれてしまった。
3、クラクフ⇒夜行寝台列車でプラハへ(22:11発6:50着予定も7:30着)
予定していた列車より早くに、別のICが入って来たので急いで乗車する。
しかし,発車後気付いたがどうやら全て指定席らしい。指定席券を持たない私たちは、空席2席に
取り敢えず座わっていた。 1時間過ぎた頃、一人の女性が(食堂車に行っていた?)来たので
慌てて席を空ける。空席はかなりあるが、指定席券を求めようと思っても車掌が来ない。
その内、コーヒ・ジュ-ス等の”無料サービス”のカートが来て勧めてくれるが、指定席券を持たない負い目?
もあり、「ノ-・サンキュウ」と遠慮していた。暫くしてく検札があり、チケットを見せるとカチャカチャ計算し
結局“0円”のチケットを切ってくれ、、空いている席何所でもOKとなった。
指定席券を持たず、まるで無賃乗車しているかのようにおどおどした私達がとても滑稽に思えた。
丁度、販売車が引き返し通り過ぎたばかり、追いかけて今度は堂々とジュ-ス2箱貰う。
2、ワルシャワ⇒クラクフへ(ICで3時間)
旧市街地にある”ショパン博物館” ”キュウリ夫人博物館”、旧市街市場などを歩いていると、大統領官邸の
前が異様な雰囲気だ。写真展?にしては変だ。思わず足を止めた。
そういえば1か月前、大統領専用機の墜落事故があったニュ-スを思い出した。官邸広場前を行きかう
人々は、痛ましい葬儀の模様の写真に見入っていた。
ワルシャワの街は、子供も大人もマイペ-スな感じで、お店でも観光客に媚びた様子もなく、
他人には“我関せず”風にさえ思え、何処でも安心してのんびり歩けるようだ。
ワルシャワの朝は早い。4時過ぎには空が明るくなる。
6時起床、ホテルはビジネスホテル?部屋は暗く陰気臭いが、外見はマンション風の高層ビルだ。
(しかし、今回の旅行中、パソコンは唯一簡単にラン接続で使用可能だった。)
8:30分まず街へ、深夜のタクシ-で川を渡り、かなり遠くのホテルに来た?と思ったが、ワルシャワ駅へは
7~8Kmの位置でそれほど離れていない。街の中心街へと、ヴィスワ川に架かる橋を渡っていると、
荒れ狂ったような濁流、両岸の木々もなぎ倒され観光船は波打ち際へ座礁・・・と、凄い光景だ。
出発前、ポ-ランドの大雨・洪水のニュ-スが報じられていたのを思い出した。大河の濁流を真の辺りにし、
自然災害の怖さと、この“濁流”がまるで私達の旅立ちを象徴しているかのようにも思えた。
―はじめに-
“赤瓦の美しい町並みプラハ…”には、かねがね旅したいと念願していました。
昨年、プラハに1カ月滞在された関本さんのホーム・ぺ-ジ、「チェコっとプラハ」の旅行記を拝見し、
魅せられ、次回の旅は”プラハ“と即決定。しかし、少々欲張りで貧乏性な私達は、“あちこち見て回りたい”
と言う思いも強く、結果、中央ヨ-ロッパ五カ国周遊の鉄道の旅となりました。
ホテルの予約は、ノ-トパソコンを初めて持参し、現地で日程を調整しながら決めることにしていましたが、
今回大半を利用した「Ibis」ホテルは、早めに予約すると割引があり、又、希望日に満室という状況の
ホテルもあり、急遽出発直前に予約することになりました。
プラハ駅の鉄道・バス案内所はとても親切だ。希望する時間帯を言えば、前後のタイムテ-ブルを
印刷してくれ、勿論接続便や最短便も教えてくれる。
プラハ:9:16発、昨日バスで通ったチェスケ・ビィヨンツエと、リンツ2か所で乗り換えだ。
駅はどちらも荷物運搬は階段利用の為大変だった。
リンツで無事乗り換えしほっとしていると、数人の乗客がじろじろ見るので、「ザルツブルグ行き?」と、
確認すると、「この列車は遅いので時間がかかる・・・」
と、乗り換えるよう、口ぐちに教えてくれた。
(急ぐ旅でもない、重い荷物を下ろすのも大変だ)
そのまま乗っていたが,1時間で着く筈の所2時間半
の随分長い旅となってしまった。
ザルツブルグの宿はユ-スホステル、駅から徒歩10分
又ホ-エン城にも歩いて行ける距離でもありその上費用が安いのが魅力だ。(1泊ツイン55?)
しかし、ホステルの2人部屋はなかなか予約出来ず、
6人→2人→6人→2人部屋と、変則に予約。
旅行中も何度かメ-ルをし、現地到着後に漸く、2人
部屋4泊に変更。丁度、アメリカ、カナダから夏休みを
利用した大学生が旅行中で、ユ-スはとても賑やかだ。
洗濯機の使い方を教えてくれたバンク-バの
学生さんは、チェコ→ウイ-ン→ギリシャ→ロ-マなど
ヨ-ロッパを2カ月間のバス卒業旅行だという。バスでヨ-ロッパ周遊の旅の学生さん達で、深夜までお喋
りが続いていた。ザルツブルグでは48時間有効のザルツブルグカ-ド(33?)購入。バスが乗り放題、
更にホ-エン城や博物館等の、又、噴水の仕掛けが楽しい近郊のヘルブルン宮殿にも有効で、
十分に活用出来たようだ。
5/26日10時15分 関空発→(アムステルダムにて乗継待ち5時間)
→22時45分 30分遅れにてワルシャワ到着
アムステルダム乗継時、既にEU入国済みにて入国手続きもなく,荷物を受け取りタクシ-で
(1,200円・30分要)ホテルへ向かう。
夜中0時前ホテルに無事到着。しかし…、早速とんだハプニング発生!!
ワルシャワ到着は夜便の為、出発1カ月前にホテルは予約した筈なのに…、「予約できていない。」
更に「満室」と若いホテルマンはいとも簡単にいう。
ホテルの予約番号を(印刷し持参していた)見せて交渉するも、返事は「ノ-」。
どんな部屋でもOK等と粘り強く交渉するも、「ノ-」。予約のメ-ルは受けているが、カ-ド番号
記入ミスの為?カードが無効→即ち予約も無効だと言うのだ 。
仕方なく、“地球の歩き方”に掲載されているホテル5~6か所に、「5☆でもOK」と、電話して貰うも
全て満室。途方にくれている私達にホテルマンは冷たい。タクシ-(1,200円)に探して貰えという。
結局、ホテル前で客待ちしていたタクシ-の運転手が、あちこち電話し漸くホテルを見つけてくれた。
翌1:30分:Flexホテル到着。
旅の初日、ワルシャワに深夜到着しホテルが決まらなかった時(何故?ポ-ランドに来たのだろう)
と、惨憺たる気持に陥ってしまった。又、プラハでも夜中に悪路の中重いトランクを押してホテル移動する
羽目になり、(ホテルのレセプションは何て冷たいのだろう…)と、恨めしくさえ感じたものだ。
ワルシャワはホテルの数も少なく、(特に”観光”に力を入れている風でもない)、6月~の週末は中心街での
ホテル探しは大変らしく、私たちも路頭に迷わないだけでもましだったようだ。
今回旅した5カ国の内、ポ-ランドが一番広く日本の僅か4/5の面積、チェコ・オ-ストリアは北海道と
ほぼ同じで小さな国ばかり。そして、隣国に、大国に侵略されたという歴史をもつ事も共通していた。
各国簡は鉄道・バス便数は少ないが、隣国移動は簡単で旅しやすかった。
ただ、小さな駅や乗り継ぎ時の駅等はプラットホ-ム間が階段利用で荷物の運搬が大変だ。
コツシェでは、旅の本を持ち歩いていると、ホテルまで案内してくれ、バスの中では運転手とのやり取りを
聞き、困惑している私たちに、一人の婦人が進み出て「私も同じ所で降りるので、次のバス停迄案内する」
などの数々の何気ない親切に出会い、親日的で素朴な国民性が感じられた。
プラハでの1か月定期券は安価で、地理に疎い私たちには優れものだ。
(ウイ-ン・ブダペストカ-ド等も利用したが、それほど安価ではない。)パスを利用し、休憩がてら適当に、
バス・トロリ-バスで市内観光や時には郊外へと・・・気ままに観光できる利点等数々あった。
持参のパソコンネット接続は苦労した。同じ系列のホテルでも異なり、ホテルのパソコン利用のみと云う所
もあった。特に旅の初めはホテル予約再確認や変更などの為、ネット接続に随分長時間費やした。
旅を無事終え今一番思うこと。それはポ-ランドへ、あの”アウシュビッツ”へ行って本当によかった!
(あの線路上を、数百万人もの命が運ばれ、人としての尊厳を奪われ、どんなにか悔しかったことだろう… )
人間の成した行為とも思えない、あまりにも悲惨で、愚かで残酷な数々の”証拠”を目の当たりにしたことは
到底忘れられない。それは、美しい景色・建物などを求めての旅ではで得られない、
今まで経験したことのない、心に深く刻みつけられた”アウシュビッツ”だった。
旅をして何時も思う。少々の”トラブル”は本当にどうにかなるものだ。それらは全て一つの経験として
良き思い出にも変えてくれる気がする。
いつかまた、隣国のスロバニア、クロアチア・・・などの、東欧の国々も旅したいと是非思う。
7、ブラスチラバ⇒コツシェへ(6時間・19?)
旅の費用
★航空券関係 280,850円(2名分)
(航空券102,150円・サーチャジ26,000円関空使用料・諸税など12,050円)
★宿泊費用:194,276円(1泊/一人3,736円)
★交通費(鉄道利用による都市移動):52,828円〈寝台料金含む7回乗車分)
★パス・各種入場料等の観光費用・タクシ-・食事代など:198,216円
合計726,170円
※5カ国7都市鉄道移動料金52,828円
ワルシャワ→クラクフ→プラハ |
20,670 |
プラハ→ザルツブルグ |
11,163 |
ザルツ→ウイ-ン |
9,049 |
ウイ-ン→ブラスチラバ |
3,142 |
ブラスチラバ→コシツエ |
4,324 |
コツシェ→ブタベスト |
4,480 |
合計 |
52,828 |
一人分 26,409円〈7回利用) |
国立オペラ劇場ツア-では、ここはウイ-ンの王女エリザべ-トの特別観覧席も設けられ、
彼女は祖国より、ここハンガリ-で人気が高いらしい。豪華絢爛な貴賓席だ。
オペラのチケットを取るのは大変なようで、私達はツア-終了後、オペラミニコンサ-トを鑑賞した。
希望者に2曲(450円)で聴かせてくれ、旅のよき思い出となった。
列車のチケットは2日前に購入していたが、何とコツシェ⇔ブタペスト往復20?となっているのだ。
窓口に片道切符に訂正を求めに行くと、丁度チケット購入した時と同じウイメン。
彼女はチケットを見て、又パソコンを示しながら、往復20?、片道26?だから、往復のチケットを発行した。
「チェンジするのか?」と、問うので、「ノーサンキュウ」と、慌てて断ると、「チップかもね・・・」と、悪戯ぽく言う。
それにしても、驚いた。チケットを購入するとき、何度か片道か往復かと聞かれたが・・・、往復チケットの方が
片道チケットより安すいとはともかく不思議な国だ。
ブタペスト到着は、30分遅れの22時。駅はフラットでホ-ムの移動は階段の上り下りがない。
荷物を押し急いでいると、いきなり男性が「チェンジマネ-?」と、声をかけてくる。
駅構内の両替所は締まっているが、電光表示を指しながら、同じレ-トでチェンジすると言う。
1万円のみチェンジしたが・・・、翌日銀行でのレ-トと比べると随分損したようだ。
駅の入り口では今回の旅行で初めて、浮浪者がダンボ-ルを敷き寝泊まりしているのが目についた。
それは、メトロの走る地下街のあちこちでもみられた。
客待ちしていたタクシ-の運転手は、「ホテルは遠い。5,000Ft(2,500円)でどうか?」と、強引に
誘う。私達は、ホテルは1Kmの位置と調べていたので、丁重に断り歩くことにした。
近いとは言え,暗い夜道でホテルを探すのは大変だ。地図を見ていると、「May I help you ?」
と、若い女性が声をかけてくれ、丁寧に教えてくれた。
「May I help
you ?」と、丁寧に声掛けしてくれる人は、親切な人が多いようだ。
翌日、ドナウ川の水位も安定し、ヴアッハウ渓谷”ドナウ川クル-ズ“に出かけた。(46,5?)
列車はウイ-ンの森を通り麦・菜の花畑などの田園風景の中を走る。同じ車両に日本人夫婦とガイド
と3人でクル-ズに行くようだ。(1人140?)この時期、オ-ストリアの人々は海のあるギリシャや
トルコに行く人が多いらしく、またバスで行く人も多いのか空席が目立った。
ドナウ川クル-ズは、メルクから始まる。メルクは16世紀の建物、町並みがある街。
バロックの至宝メルク修道院を見学し、いよいよクル-ズの始まりだ。
日差しの強い好天に恵まれ、観光船はドナウ川の流れに、両サイドの山や丘の頂きに聳える古城を眺め
ながら下って行った。クル-ズは、日本語案内もあり分かりやすかった。
夕方、ウイ-ンに帰ると、(あんなに青空の晴れた一日だったのに・・・)、空が真っ暗になったかと思うと
いきなりすごい風と土砂降りの大雨だ。翌朝には、街路樹の枝が折れてあちこち落下していた。
きっと、明日はまた”クル-ズ“は中止になる事だろう。
-モーツアルトコンサ-トへ-
国立オペラ劇場の見学ツア-に行くと,いきなり「今日はツア-は休み、モ-ツアルトの演奏会は
如何?」と、モーツアルト風のカツラを付けた男性が誘ってくる。ワルシャワでショパンコンサ-トを聴き
そびれたこともあり、チケット購入。(一番安い3F席で42?)
学友会館へ行くと、まず“席”に驚いた。私達の席からはステ-ジは全く見えない。
50席はあると思われるが、10人くらいの団体客はブ-イングしていたかと思うと、ぞろぞろS席へ移
り、席がチェンジ出来ることを教えてくれた。しかし、私達は、世界一周している日本の女の子と4人
50席全て占有出来ることになった。”如何にしてステ-ジを見渡せるか”、お互い席を探し合い、
それぞれの特等席を見つけてご満悦だった!!
曲は、ドン・ジィバニ-・ケッヘル40番交響曲、舞台は少々遠すぎたが・・・、まあまあ満足!
-ハイラインの岩塩鉱へ-
インスブルグ行きの快速で15分、ハイラインから更にバスで15分。
41番のバスに乗り、岩塩鉱に着くと親切な運転手は、帰途のバスは毎時13分発と教えてくれる。
岩塩鉱のガイドツア-は、30人近い高校生達と白い作業服に着替え、丸太のトロッコにまたがり
暗くて狭い坑道へドンドン下りて行く。冷気で神秘的な感さえする坑道を歩き、更に船でと、スリル満点だ。
帰途のバスは、偶然にも行きの運転手さんと同じ、「良かったか?」と、尋ねられたが、本当に、
この長閑な村の地下深く、広大な岩塩鉱があると想像さえ出来ない。貴重な体験だった。
?チェスキ?・クルムロフ城へー
当初、プラハ→チェスケ-へ向かい、チェスケで2泊の予定だった。ホテルへ再々メ-ルをしても返信なく、
滞在中のプラハのホテル(駅に近いので予約取りにくかった。)が、2泊延泊OKとのことで、
プラハ泊を4泊→6泊に変更し、チェスケへは身軽に日帰り旅行することにした。
しかし、チェスケ出発当日メ-ルを開くと、「滞在有難うございました・・・」と、何か内容がおかしい。
慌ててフロントに行き確認すると、「延泊の予約は出来ていない。」(・・・確か、当日カ-ドを持参し
チェック・インの手続きをするよう、言われたけど)と、抗議するも「ノ-、予約出来ていない。満室」と言う。
しかし、少し離れている同系列のホテルならOKとの事で、大急ぎで荷物を纏め、預けて、チェックアウト。
そしてフロ-レンツのバス停へと走った。(今夜またホテル変更と思うと、少し憂鬱でもあったが)
8:15分バスは定刻に発車。麦畑・菜の花畑の続く田園風景の中を走る。
途中バスがエンストの為、交代のバスが到着
するまで待機と言うトラブルもあり、30分遅れの11時45分着
チェスケクロムロフ城は本当に素晴らしい!!まるでおとぎの国
のお城と言う感じだ。大きなトランクを押し、バス停へと急いで
いる来た女の子二人、昨夜ここで泊まったという。
チェスケ2泊を取りやめたことを少々後悔した。
帰路は、19時発のバスなので、チェスキ-・クルムロフ城の半日をのんびり楽しむことが出来た。
しかし、車中で21時サン・セットを眺め22時プラハ着後、荷物をとりにホテルに戻る。次に、石畳の道を、
荷物を押して25分、今夜のホテルへ。(旧市街地にタクシ-不可)ほとほと疲れてしまった。
ワルシャワの街は旧市街と新市街に分かれている。旧市街の町並みは第二次世界大戦で大半が破壊され
戦後市民により17世紀前後のゴシック・バロック形式の建物・町並みが復元された街。
破壊された街や建物と復元された街が1枚の絵葉書に納められ、又スタ-リンからの贈り物として建てられた
37Fの高層ビル“文化科学宮殿”は、復元された街には違和感もあり、市民から“ワルシャワの墓石”と、
揶揄されている。ポ-ランド人らしい気質、芯の強い不屈の精神が感じられた。
午後、ワジェンスキ宮殿での”ショパンピアノコンサ-ト”を鑑賞したいと、観光も兼ねトラベル会社を
探すことにした。しかし、地図・住所を頼りに探すも、該当する番地は全く別の”ス-パ-”、
と言う具合に、見当たらず、幻のコンサ-トになり残念だった。
(ポ-ランド・チェコ・オ-ストリア・スロバキア・ハンガリ-)
6、ウイーン⇒スロバキア・ブラスチラバへ(列車1時間・14?)
”ウイ-ン”は、国立オペラ劇場を始め,楽友教会、コンツエルトハウス等と数々の劇場・・・
があり、街そのものが、”音楽の都”という感じだ。
王宮観光巡りをした、公園へ行くと其処にも,モ-ツアルト、ヨハンシュトラウス像・・・と、
著名な音楽家の像が並ぶ。
5、ザルツブルグ⇒ウイ-ンへ(列車2:40分・40?)
目下、ウイ-ン西駅は大々的に工事中。迷路のような中をエスカレ-タを上手く使い、
荷物は階段を持ち運びせずにホ-ムにたどりつける。
ザルツブルグ、ウイ-ンの駅は共に、建て替え中,改修中が多く何処もとチケット購入が大変だ。
12時:ホテルをチェック・イン後、駅にヴァッハウ渓谷のドナウ川クル-ズチケットを購入に行く。
しかし、ドナウ川の水位が高い為今週は中止中、2日後土曜には多分OKと言う。
ここのホテルのパソコン環境は面白い。部屋での利用は有料だが、その接続方法が分からない。
(後で分かったが、テレビの画面で部屋番号を入力し接続する)又、ホテルのフロントの一角では、
無線ランを無料で接続可能なのだが、少し位置がずれると接続不可だ
AM8:30分ホテルチェックイン
早速、近くのフロ-レンツ駅へ、プラハ1カ月有効パス(4日滞在の予定だったが・・・)を購入に行く。
自動券売機の前でウロウロしている、と7~8歳位の女の子が切符の求め方を、「コインはここに入れる。」
と、しきりに教えてくえる。始め(こんな幼い子が又チップ要求?)と、思いながら無視していても
尚も彼女は一生懸命だ。仕方なく、「1カ月使える切符を買いたい」と言うと、懸命に考えていた彼女は、
裏手の定期券売り場にれて行ってくれた。私達はチケット購入に夢中で、ふと気付くと彼女は既に何処か
へ行っていた。(お礼も言わずに、小銭欲しさに・・・)と、疑ったことを後悔した。
彼女はきっと「困っている人には親切にしなさい・・・」と、教えられていたのかもしれない。
しかしながら・・・、気を取り直し、まず3日間有効の市内交通のパス購入(約2,400円)
次に、2日後と3日後のワルシャワ(国内線)→クラクフ(国際列車)→プラハ行きの切符購入。
初め国内線切符売り場で上記のメモを渡すと、国際線の窓口へ並ぶよう言う。
国際線の窓口では、隣の国内線窓口の係員と何やら協議?していたが、結局、ワルシャワ→プラハの1カ月
有効の切符をくれた。(1人寝台車切符込で10,330円)
1、まずはポ-ランドの首都ワルシャワへ(3泊)
ブタペスト最後の夜は、フオ-ク・ダンスショー(食事代込み5,150円)行くことにした。
始め、フオ-クダンスの開演は20時、食事付きか?と聞かれたので、食事をしながらショ-を見る
と思い、昼食も軽くすませて行った。
20時ハンガリ-民族舞踊ショ-開演、カラフルな民族衣装に激しいリズム、バックの生演奏も素晴らしい!
休憩を挟んで1時間半、舞台狭ましとエキサイティングな踊りが繰り広げられた。
しかし、食事は一向に出てこない。日本からのツア-観光客は食事の為か途中で退出した。
(後で気づいたのだが・・・、大型船のクル-ジングに参加のようだ。)
ショ-終演後、受付は人だかりだ。食事のチケットを見せると、暫く待つように言われ、随分待たされた。
漸くアルバイトの学生がと40数人の客とぞろぞろ船着き場へ歩いた。
そう!私達もクル-ジングしながらの食事だったのだ!!
(ライトアップされたドナウ川をクル-ジングしたい・・・)とは思っていたが、何とこれから食事しながら
のクル-ジング、私達の船は小型で船上のデッキへ行くことは出来ず残念だったが、念願の夜景が、
昼間見た鎖橋や数々のライトアップされた橋を、王宮の丘に聳える歴史ある建築物など見られ嬉しかった。
この予期せぬ“ドナウ川”のクル-ジングは、旅の最後にふさわしい最高の思い出を作ってくれた。
翌日は、この1カ月近くの旅行の疲れをとる為に温泉へ。
ブタベストは世界でも有数の温泉都市、温泉はまるで王宮かホテル?とも思える豪華な建物だ。
屋内には様々な形態の温泉・薬湯、又、屋外は大きな温泉プ-ルといろんな温泉を楽しめる。
ブダペストの街は、ドナウ川を挟んでブダとペストに分かれ、ブダ側には王宮の丘がドナウ川に面して
長くそびえる。メトロ・トラムなど市営交通無料カ-ドを利用して何度も訪れ、悠々と流れるドナウ川を、
ブタ・ペスト両サイドの街並みの眺望を飽きることなく堪能した。
8、コツシェ⇒ブタペストへ(3時間半・20?)
翌日は、一転して快晴!! 今日は夕方、18時13分発の汽車でブタベストへ向かう予定だ。
早めに街中を観光して・・・、と街を散策しながら、再度スピシュ城へ行くことに決定!!
ホテルにタクシ-でUタ-ン、チェックアウト、荷物を預けて、タクシ-で・・・と大忙しだ。
スピス城に着くと、城内に入る時間の余裕はなかったので、今度は違う角度から眺めようと、
刈り取られて歩きやすい牧草地の中を、城の麓近くまで上って行った。
やはり青空の下、丘の上に聳える”スピシュ城”・赤瓦・グリ-ンの畑のコントラストもナイス・ビュ-!!
昨日の雨の中の観光が、不満が一気に解消した爽快な気分だった。
しかし、帰途のバスがとんでもないことになった。昨日入念に調べたばかりで安心していたのに・・・、
定刻になってもバスは来ない。バス停に留っている運転手に尋ねても要領を得ず、結局、予定していた
14:28発の直通バスはないと言うのだ。やっと、他の運転手が乗継いで帰る方法を教えてくれ、また、
親切な婦人が下車する処を、乗り継ぐバスを教えてくれると聞いてほっとした。
バス乗り継ぎの、”プリソバ駅”に着くと、そこは昨日も今朝も寄った大きな街の停留所、
次のバス乗り場も教えて貰った。待ち時間も20分あり、ソフトクリ-ムを買いに行き戻ると、今度は、
「バスが出ないので、他の車で行くがどうするか?」と、乗客が教えてくれる。とにかく私たちは、ホテルに戻り
荷物を持って18:16分の汽車に乗りたいと、、ソフトクリ-ムも半分捨て慌てて飛び乗った。
どうやら、バスが故障?事故?の為、7~8人乗りの車が代走車として用意されたようだ。(1、5?)
とにかく、無事コツシェに辿り着き、ホットした事は言うまでもない。
今日の列車はフランツ・ヨ-ゼフ駅発、ここも改築中。仮駅舎はホームがフラットで荷物運搬は楽だ。
9時25分発→10時15分(国境らしく車掌交代)→10時35分ブラスチラバ到着
スロバキアの首都、ブラスチラバはドナウ川に面した小さな街。
まず、昼食後、今は廃墟となっているデェヴィン城へ向かう。モラヴァ-川とドナウ川の合流する丘の
上に立つデヴィン城、訪れる人も少なく寂しい。
しかし、廃墟の城跡からの眺め、ドナウ川を遊覧する観光船、遥か遠くに超大型のタンカ-が行きかい、
又、赤瓦屋根の村々の眺望はとてものどかだ。
私達の宿泊するホテルの裏手が、高台の丘に建つブラスチラヴァ城、ドナウ川が直ぐそばを流れる。
ブラスチラヴァは城塞に取り囲まれ街で、唯一現在も残されているミハエル門からの眺望がすばらしい。
※ 当初鉄道パス5日間(29,000円)を
購入予定だったが、パスの有効期間は
1日単位で、寝台車料金も別料金になり
割高になるので、窓口でその都度購入した。
どの駅もこじんまりしており、購入しやすい。
完
-無事旅を終えて‐
メトロでは、この旅行中初めての経験だが、毎日どの駅も4~5人の係員が検札していた。
現地の人よりも、むしろ旅行者の無賃乗車を疑っている?有効期日もしっかりチェックしていた。
ワルシャワの路上トロリ-バス内で突然検札、学生2人下車させられ罰金を取られた筈だが・・・、
こんなに毎日検札しているのを見ると、不正乗車も多いのだろう。
翌日、中央ヨ-ロッパ最大級の、今は廃墟のスピシュ城へ向かう。(チケット:往路3,5?・復路3,1?)
バスで1時間30分、便数は少ない。昨夜ホテルマンが10時発と調べてくれ早めに行くも、
10時45分発しかないという。
スピシュに着くと、生憎の雨、雨、雨。帰途のバス便を確認しながら、丘の上に立つスピシュ城へ歩く。
牧草の茂った畑の中、ぬかるみもある小道を歩いて登る。廃墟の城は広く、入り口を探すのも大変、
どうやら裏道から上ったようだ。城内は課外授業か小学生達のグル-プでとても賑やかだった。
城からは遥か遠くに、四方の山々、田園風景を見渡せ、赤瓦の街・村もポツン、ポツンと見える。
しかしながら、せっかくの素晴らしいこの眺望も、靄がかかりボヤ-とし残念だった。
帰途のバスは往路の高速?の道路と違って、山越えもあり、林道を走って帰った。
朝、出発前に再度ブラスチラバ城へ(城内は工事中で庭から眺めるのみ)散歩に行く。
高台からのドナウ川の眺望を楽しんでいると、日本からのツア-旅行者が10数人、城内の庭に入ったかと思うと、
もうすぐに下って行った。(この雄大なドナウ川を存分に眺められたらいいのに・・・)人ごとながらふと思った。
12:15分発→18:34分コツシェ到着。
コツシェはブラスチラバに次ぐ第2の都市、駅から旧市街地は近い。
荷物を押しながら石畳の道を歩いていると、一人の男性が「May I help you ?」と、話しかけてくれた。
彼は女の子を抱き散歩中らしい。日本から来たことを告げると、訪れたことはないが、大阪も知っているという。
ホテルの道を教えてくれ別れたが,暫く歩き角を曲がろうとすると、再び彼は来て、「ノー、ノ-、ネクスト」と、
言いながら、曲がり角まで一緒に歩いてくれた。また、暫く歩き角を曲がろうとすると、今度は自転車の前後に
子供を乗せた男性が、「ホテルは次の角を曲がる」と、言いながら自転車をゆっくり走らせ、ホテルの前まで連れて
行ってくれた。(彼は、どうして私達の探すホテルを知っていた?)と、不思議でたまらなかったが、
旅の本には、“グロリア・パラッツ”1軒のホテルのみ紹介されており、日本人の旅行者は、きっとそのホテルを探して
いると思われたのだろう。この何気ない親切さがとても嬉しく、そして”スロバキア”が大好きになった。
しかし、ホテルに到着し2泊希望すると、「1泊のみOK、明日は満室」という。ここにも何回もメ-ルをしたが
返事は来なかった。其のことを告げると、メ-ルは受けていないという。
仕方なくホテルの紹介を頼むと、地図を示してくれほんの直ぐ近くのホテルを教えてくれた。