―無事旅をおえて―
バルト3国の旅の計画を練りながら、先ず、中世の雰囲気を今に伝えるという、エストニアの首都タリンの街に惹かれた。
更に、最近、鑑賞したばかりの映画゛日本のシンドラ-”杉原千畝”から、リトアニア・カナウスへと、興味はドンドンと広がっていった。
いつの頃だったか、ヨロッパに向かう飛行機で、時差もあり眠い目をこすりながら、「今、どの辺を飛んでいるのだろう」と、ふと、航空マップを
見ると、そこは、”タリン”という見知らぬ地。その時、初めて知ったタリンの地名に、「ここは、どこの国?」と思った。
その後、長旅の飛行機で、タリンという地名を見ると、目的地、ヨロッパにもう近い!と。いつしか、タリンという地名が頭の隅を占めていた。
そのタリンのある国に、今まで個人旅行することさえ考えなかったバルト3国に、旅することになり、不思議な縁を感じた。
バルト3国の内、エストニア、ラトビアは、北海道の面積の約60%。一番広いリトアニアでさえ約80%。そして、3国の総面積は日本の
約40%であり、コンパクトな国ばかり。また、人口は3国併せても580万人。都市間の国境越えさえも、バス、鉄道でわずか数時間で移動
可能であり、何処へ行くのも、まるで、隣街へ行くかのような感覚だった。
3国の最高峰、ス-ル・ムナマギ<大きな卵の丘の意>は、標高318m。それもそうだろう。車窓風景に山や丘さえも見ることなく、
不思議だったが、黄色く色づいた麦穂、取り入れが終わったばかりの麦畑、そして、松林や白樺などの緑豊かな景色が広がっていた。
3国には共通して石畳の旧市街地、郊外にある歴史ある建物や古城などがある。また、17世紀~20世紀初頭当時の茅葺屋根や木造
建築が集めらた民族生活博物館があり、そこでは、懐かしい日本と同じような、昔の風景を垣間見ることができた。
特にエストニア、タリンでは、伝統文化保存に熱心な地にたがわず、鮮やかな民族衣装でのフォ-クダンス-を鑑賞でき、ラッキ-だった。
見知らぬ街タリンはヘルシンキからも近く、タリン⇔ヘルシンキは日帰り観光ル-トになり、フォ-クダンスショ-と共に益々印象深い地になった。
ラトヴィア、リトアニアには、B.C.20世紀頃、バルト族の祖先が移住してきたと言われれる、そして、エストニアでは、B.C.30.エストニア人の
祖先が住み始め、その後、時の強国、スウェ-デン、デンマ-ク、ポ-ランド、イタリア、ロシア、ドイツ…などの国に支配を受けた歴史もある。
又、現在の民族構成からも、今なお残る古城や要塞跡、塔や教会などにも、 ヨ-ロッパ国々の影響が多々見られたようだ。
リトアニアには、ソ連の国家警察が置かれていたKGB博物館に、拷問に使用された施設が保存されている。カナウスの第9要塞博物館、
第二次世界大戦時にナチスの強制収容所としても使用され、そこでは、多くのユダヤ人が命を落とし、エストニアの市庁舎監獄、ラトヴィアの
占領博物館や祖国を守るために戦った兵士の墓地など。また、カナウスでは大量発行ビザに関わる悲惨な歴史が物語っているよう思える。
※ 3国の民族構成
リトアニア国、リトアニア人84.1%、ポ-ランド人、ロシア人、その他、ベラル-シ・ユダヤ・カライメ人など。
ラトヴィア国、ラトヴィア人61.1%、ロシア人26.2%、ほか、ウクライナ・ベラル-シ・ポ-ランド人など。
エストニア国、エストニア人69.1%、ロシア人24.8%。ほか、ベラル-シ・フィンランド人など
今回の旅の、一番の失敗は、リガのホテル予約が完全でなかったこと。一時パニック状態に陥ってしまったが、無事旅が終わってみれば、
小さな国の移動でもあり、予想した以上にのんびりとした旅を満喫できた。旅の準備期間も少ない中、LSCのSさんの旅行記を参考に
させて頂き、また一つ旅の思い出が増えました。有難うございました。また、来夏はブルガリア・ウクライナ・方面に旅できたらと願っています。
9:35リ-ガ発(9:15発は、残1席のみだった)→16:20タリン港到着
リ-ガからタリンへは、チケット窓口で、「シニア?」と聞かれ随分割安なシニア料金(21?→12.6?)でバスチケットを購入。それまで、博物館、
教会などでシニア料金のが表示があると、「シニア」と告げるだけで、証明書を求められることなく、シニア料金で購入できたが、バス代が
シニア料金適応されるとはとは知らなかった。以後、必ずシニア料金があるか確認することにした。しかし、市民のみ適用というものが多かった。
今日のバスは珍しくトイレつき! 2:20に10分間の休憩があり。バスは、松林の中の道路を走る。やっと集落があり、麦畑と思ったら、また、
松・白樺林。車中、松並木をサイドに眺めていると、野外博物館で見た木造建築の数々の、昔の家屋に納得だった。
16:20タリン港着。運転手さんは、終着のバスタ‐ミナル駅ではないと言われたが、今日のホテルは、タリン港近くの旧市街地。
始め、バスタ-ミナル着後、明日からの、バスタイムテ-ブルなど調べ、ホテルにはタクシ-で向かう積りだったが、うっかり下車してしまったのだった。
タリン港には大型船が停泊し、足早に通り過ぎて行く人は多いが、ホテルの方角を訪ねようにも、「トラベラ-」と言われてしまい、当然の事だが
旅行客ばかり!結局、少し離れたタ-ミナルのインフォメションで教えて貰う。慣れると、”ふとっちょマルガレ-タ”近くで探しやすい場所だった。
ホテルチェックイン後、5日間有効 ウヒスカ―ルト(6?)購入し、(連日使用しなくても、1日3回以上使用で1日券扱いに)
バスタ-ミナルへ行き、ナルバ、ラクヴェレ、タルトゥへの、往復タイムテ-ブルを打ち出してもらう。
5 リ-ガ~エストニア・タリンへ 7月30日(土)・Melton old town Hotel 5泊・286?・バス代:12,6?(シニア料金・通常21?)
18世紀のリトアニア・ルムシュケスの生活風景と木造建築
フィンランド・ヘルシンキには予定より少し早めに到着も、トランジット時間は1時間20分と短かい。セルフでの顔認識写真撮影、
そして、パスポ-トチェック時には、どこの国に行くか?旅の行程をすべて尋ねられ、(ずいぶん手間取った!)と思い混んでいた。
パスポ-トチェック後、21Aゲ-トへ急いだ。しかし、小さな空港と思っていたが、ゲ-トは端っこの方!到着した時は正直ホットした。
しかし、21Aの表示は、“マドリ-ド行き”となっている! しかも、受付カウンタ-には誰もいない!!
空港職員らしき人を捉まえ、電光掲示板のヴィリュニス行きの表示を見せると、ここ、21Aのゲ-トで待つように言われる。
職員の言葉に安心し腰を下ろしていると、連れが、時計を見ながら、「出発時間が迫っている。皆、既に、乗っているのかも知れない?」
しかも、飛行機にはバス移動するらしく、乗客は下の階に降りている? 階下への階段にはロ-プがもう張られているのだ!
階下に行くことも、誰に聞くことも出来ず、もう、パニック状態!!
再度、空港職員探しが始まった。急いでいる時に限ってどこにもいない。インフォメションデスクもない!一人、発見と思ったら、彼は、
誰かお客さんと話しながらエレベ-タ-に乗りこむ寸前だった
しかし、このチャンスを逃したらと、再び、彼の手を無理やり引っ張り、時刻掲示板の前に行き手持ちのスマフォ?で調べて貰った。
この間、この飛行機に積み残されたら一大事と、私たちは必死だった。でも、職員さんは不思議そうな顔して、ここで待つようにと。
結局、私たちが、1時間勘違いしていたことが判明。23Aゲ―トの前では、既に、搭乗を待っていた人達が集まり、一人の女性が、
バタバタ走る様子を見られておられたようで、電光掲示板の表示を、「間違いないですよ」 と言うふうに示し見せてくれた。
見ると、いつの間にか、掲示板は、"マドリ-ド→ヴィリュニス"の表示!
トランジット時間が短く、出国に意外と手間取り、ゲ-トまで遠かった! パニックにパニックが重なり、慌てふためいた結果だった。
今回、もう、2度目のアクシデント!? 改めて、お互いに気を引き締めることにした。
ヘルシンキ2日目 8月5日(金)スオメンリンナイ島へ 船:往復14?
展望台?
空中レストラン!!
9:00発の船で、スオメンリンナイ島へ行く。島を隈なく歩いていると、前回、暑い中回ったことが思い出され、再び、この地にくるとは予想も
していなかったので、バルト3国の帰りに寄ることが出来たのはラッキ-だった。
午後、シベリウス公園まで歩くことにした。(約50分)公園に着くと、このパイプのモニュメント! どかかで見たことがある?まさか、8年前の
記憶?とも思えないが、往路、川べりをのんびりと歩いていると、懐かしく、やはり、ここは歩いた道!故郷に戻った感じだった。
2016.7.18~8.8
シベリウスが、53年間の半生を過ごした 長閑なアイノラ村・家
17世紀~20世紀初頭にかけての木造建築が移築
Top
シベリウス生家のあるアイノラ行きのチケットは、昨日、地球の歩き方に記載されていた、Jarvenpaa までの往復チケット購入済だった。
9:12 Jarvenpaa発。鉄道は無人駅で乗車すると車掌さんからチケットチェックあり。9:40到着。プラットホ-ムのそばに駅はない。
アイノラには、Jarvenpaa 駅から徒歩10分と書かれており、駅前にある地図に、シベリウス生家の案内は見当たらない!
駅員さん、道を歩く人も見かけず、たまたま歩いていた地元の人に、旅の本のに載っている生家の写真を見てもらう。しかし、首を横に振るだけ
で、全く要領が得ない。次の列車に乗る2人連れの女性に聞くと、「ここではない。歩いて行くには遠すぎる。タクシ-?」と言われる。
次に、バギ-を押す若い女性は、「シべリウス生家は一駅前のアイノラ駅。徒歩では無理」と教えてくれる。
結局、”Jarvenpaa
駅の近くには生家はない”事が判明し、一駅前の、アイノラ駅にバックして、探すことにした。往路、ひとつ手前の
アイノラ駅近くで、列車の中から原っぱに、大勢の人を見かけ、又、シべリウス生家=アイノラ?と、一瞬思い、一駅引き返すことにした。
アイノラ駅の長い、長いプラットホ-ムに降りたときには驚いた。 ここも、当然無人駅。駅舎も、シベリュウス生家の案内もなし。尋ねように
も近くに民家すらない。仕方なく、往路見た原っぱのイベント会場に行ってみた。スポ-ツ大会が催されているようで。車も沢山停まっている。
丁度、駐車場でトランクを開けていた男性に、シベリウス生家を尋ねた。彼はトラベラ-なので知らないが、スタッフが知っているかもしれないか
らとイベント会場のテントに連れて行ってくれた。しかし、女性スタッフ4人も、シベリュウス生家は全く知らないらしいが、そのうちの一人が友達
に電話してくれ、近くに生家があることが判明。そこで、女性が手にしていたスマフォが目につき、「調べてもらえないか?」と、お願いした。
そして、ようやく、そう遠くない、環状道路沿いに道路の横の道を歩いていくよう行くよう教えてくれた。
歩き始めると、サイクリングロ-ドでもあり小さな表示で、「アイノラ」「シベリュウスハウス」などの方向が示されていた!!
生家は、ひっそりとした木立の中にあり、生家を見学(入館料8?)後、庭園を散策。観光バスで大勢の人たちもやってきた。
2時前、ヘルシンキに帰り、一日乗車券(8?)購入し、オリンピックスタジアム・アラビア工場など、トラムで街を散策
スオメンリンナ島の1日
十字架の丘
朝、早めにバスタ-ミナルに向かっていると、昨日、同じ飛行機に乗り合わせ、ミニバスでも一緒だった、日本からの一人旅の男性と
バッタリ出会う。彼とは、夕方散策しているときも再会し、ヴィリニュスは小さな街?を実感した。
8時に、タ‐ミナルに着くと、既に8:30分発の大型バスが停車しており、運転手さんに確認すると、向かい側に停車しているミニバスに
乗るようにと勧めてくれる。(8:20分発)
ミニバスは、地元の人達の乗合バスなのか乗り降りが多い。途中で、長い間停車するので、「終点?」と、聞くと、運転手さんは、
???だったが、前の席の女性が、わざわざスマフォで調べてくれ、到着時刻を教えてくれた。又、バスタ-ミル着後、往路は列車で帰る
予定にしていたが、わざわざ、バスの時刻表示の場所まで連れていき、次に、約1.5km、この道をまっすぐ歩いて行くようにと教えてくれる。
トゥラカイは、ヴィリニュスに移る以前に、リトアニアの首都が置かれていた、30以上の湖と森に囲まれた自然公園にある古城。
赤レンガの古城が水面に美しくはえる。さらに、木造の橋を渡り城にむかう。はじめ、あまりに人が少なく、一瞬観光オフシ‐ズンかとも?
思ったが、10時オ-プンすると、観光客がド-と押し寄せて賑やかだった。サイクリングコ-スも完備されており、1日のんびり楽しめそうだ。
次の旅は、ニ―スからモナコ、フランス、ベルギ-、そして、オランダ旅行へと決めていた。
しかしながら、最近の世界情勢のニュ-スを見ると、それらの国への旅は到底望そうにもない。長期間家を空けられない事情もあり、
急遽、昨年旅されたSさんのバルト3国旅行記を参考に、リトアニア、・ラトヴィア・エストニア&ヘルシンキヘルシンキ旅行を計画した。
航空券購入は出発の1カ月前。そして旅の行程、ホテルなどの予約は出発1週間前に完了という慌ただしさ。
宿泊はネットでホテルに直接予約と、booking comなども利用した。しかし、特に7月末からの、タリン、ヘルシンキでは、リ-ズナ
ブルなホテルは予約がスム-ズに運ばず、その精だけでもないが?旅行中、ホテルに纏わるアクシデントもあり。特に個人旅行の場合、
もう少し、余裕をもって、早めに計画する必要性を痛感した。
トラブルの第1弾は、自宅出発前にカバンの鍵から始まる。カバンに鍵をかけ、試しにロック解除してみるが開かない!!
鍵を開ける方法をネットで調べてくれるが、カバンを開くことができない。バスに乗る前に、伊丹到着後も、成田乗継の利用者が多く、
チェックインカウンタ-が混雑していたこともあり、順番を待つ間にも解錠の方法をあれこれ試してみた。
家からネットで調べて鍵部分を示し写真をラインで送ってくれる。(便利だ!)でも、同じ製品のカバンが見つからず、チェックインの
順番も迫まってきた。最悪、鍵が開かない場合、成田で荷物を一旦受け取る→鍵を壊してもらう!と覚悟を決めた。
ふと、周りをみると、私たちのカバンの鍵との悪戦苦闘を、一部始終もの珍しそうにみられていた!
列の前の若い男性は、スマフォ-片手に、こちらをチラチラ見て気にかけてくれている風だったので、 鍵のことでもあり聞くのも憚られたが、
「この鍵を開ける方法、ご存知ですか?」と、ダメ元で聞いてみた。
すると、一瞬戸惑いながらも、彼が、キ―をカバンに差し込んだ途端に、何と、難なく解錠! まるで、プロ!!
と、その瞬間に思い出した! このカバンのキ-解錠の仕方を。 キ-を差し込むと同時に奥へ押すのだ! 出発直前の大騒動。
しかし、無事、トランク2個、伊丹→成田→ヘルシンキ→ヴィリュニスへと運んでくれる手筈となり、幸先の良い旅立ちとなった。
ヘルシンキ大聖堂・市民の憩いの場元老院広場
13時タリン発、ホテルチェックアウトは12時なので、少し、雨が降っていたが見残していた精霊教会、高台にある大聖堂に行く。
高台・展望台では風も強く、さらに雨もだんだん強くなってきた。誰一人歩く人もいない。屋根もないスタンドで絵葉書を売りの若い女性が
寒そうに、雨上がりを待ていた。10時オ-プンの大聖堂は9:30分に、精霊教会も早くに開いていた。早朝出発の旅行者に合わせて、
どこも早めのオ-プンのようだったが、朝夕は観光客も殆ど見られず閑散としていた。
タリン13時発→14:30ヘルシンキ着。高速艇到着時はかなりの雨!雨宿りしながらゆっくりホテルへ向かう。
ヘルシンキは、8年前、北欧4か国を旅したときの始発の国でもあり、前回宿泊したホテルのそばを通りながら、14:30ホテルチェックイン。
後、明日の、スオメンリンナイ島行きの、タイムテ-ブルをもらう。
ヘルシンキのホテルは、2日間はイベントがあるらしく、宿泊料金が1泊50?加算され、合計、100?アップし、今回の旅の中で、リ-ズナブル
なホテルの筈なのに一番高かった!
11:15 ミニバスに、私たち5人を乗せ出発。バスは遅めの出発で、朝のんびり街を散策した。今日は、リュビリア-ナ~ラトヴィアへの
国境越えのバス2時間15分の旅。隣国というより隣町に行くような感覚だ。バスタ‐ミナル出発後、昨日通った十字架の丘を遠くに眺め、
道路沿いには刈り入れ前の麦畑、トウモロコシ畑、その中をバスは走って行く。
12:00 パスポ-トチェック。13:30 途中、空港で一人下車したあと、リ-ガバスタ-ミナル13:45分到着。
70万人の人口を抱えるラトヴィアの首都リ-ガは、バルト3国で最大の大都市。ホテルは、駅、バスタ-ミナルから数分の旧市街にある
ホテルに4泊予約していた。駅から数分のホテルだが、バスタ-ミナル~旧市街地へは横断歩道はなく、地下通路の階段を利用しな
ければならない。出口一つ違えても、再度地下道へと言う具合で、旧市街地のホテル探しは大変!ホテルを見つけた時は正直ほっとした。
ところが、フロントの若い女性、予約書を見てパソコン画面を確認するも、??? そこへ、もう一人のレセプションの女性がやって来て、
再度、予約確認書を念入りにチェック。予約がカンフォ-ムでなかったと言うのだ!(そういえば、予約完了時に予約NO票が送られる。
今回、リ-ズナブルな宿が取れにくかったこともあり、予約が成立していなかったのだ?!)
「予約できていない!」と言われても、一室位はあるだろうと軽く考え、「どこか空き部屋は? 他のホテルは?」と矢継ぎ早に問う。
しかし、「今日、明日は満室。ホテルのパソコンを使って、他の宿を予約するように・・・」と、2日間滞在するホテルを探し、後の2日は
このホテルでと親切にいってくれる。しかし、ここのホテルで4日間滞在できると、のん気に考えていたのに、とんでもない事になったのだ!
一瞬、かって、ワルシャワ到着時にも同じような経験をし、その時の 悪夢の記憶が蘇ってきた。しかも、あの時は、深夜到着!
そう考えると、今は、昼間! 探すしかない!!即、足手まといになる荷物をホテルに預け、周辺のホテルをあたることにした。
1軒目、目についたホステルはドアが開かない! 2軒目、空室ないと言う。3軒目の隣のホテルで聞くと、やはり、空室はなしの返事。
そこで、「私達は4泊したい。明日、明後日の部屋は?」と、問うと、今日1日のみ満室だと言う。代金は1泊80?、支払いは現金で。
取りあえず3泊を確保した。後、もう1泊を、又は、4連泊可能なホテルを探すことにした。
しかし、何軒か探し回ったのだが、肝心の、今日の宿が見つからない!その時、昨年、NZで利用し、2度と泊まらないと決めていた
バックパッカ―の宿が目についた。玄関のドアが開いたので入り、そのまま3Fのレセプションへ。部屋も何も確認せぬまま予約。
そして、先ほど頼んでいたホテル3泊を正式に予約し、次に、預けていた荷物をホテルに取りに行き、今度は、バックパッカ-ホステルに
荷物をあづけ、明日からの予定している、バスの時刻表を調べに行くことにした。あ~ぁ、ややこしい!
しかしながら、この旅の、3回目の大きな、大きな、アクシデントも、一件落着!ホットしたのだった。
石畳の旧市街を歩くのは疲れる。交通費も安いことでもあり、休憩がてら郊外のタルトゥへ行くことにした。
タルトゥは経済中心のタリンに対して、エストニアの精神的首都。国の中核でもあるタルトゥ大学は400年近い歴史を持ち、スエ―デン国王に
よって創設され学問の都市として栄えた街。1920年、ソ連ロシアから独立戦争に勝利し、国家として産声をあげた。
バスタ‐ミナルまでトラムで行き、8:30バス出発。道路沿いは相変わらず松・白樺と、杉の木も。しかし、平地ばかりで山がない!
タルトゥには、バルト3国で一番高い丘(300m )があるらしく納得だ。(一番高い山は・エストニアにあるムナマギ山、316m)
11時、バス到着。早速、街を散策していると、偶然、札幌からの旅人・Aさんに再会。
彼とは、旅の始め、ヴィリュニスの空港で、そして、翌朝、街を散策中にも出会っていた。その後、日本からの旅行者と会うこともなく、今頃、
どの辺を旅されている?と、日程はほぼ同じでも旅のル-トが異なり、丁度、彼のうわさしたばかりだったので本当に驚いた。
お昼時でもあり、サ-ビスランチ(ポテト&フィッシュセット)+ビ-ル(6.8?)をご一緒した。
旅行中の昼食にはアルコ-ルは控えていたが、久しぶりの再会でもあり、ゆっくりと食事をしてお互いの旅の話に弾んだ。
まず、Aさんの旅の綿密な計画表を見せてもらい驚いた。旅の行程表はもちろん、予算、現地の国の歴史、食べ物、あいさつ程度の
言葉も話せるようにと、又、各国のビ-ルの種類や、夜中は一般商店で酒類販売禁止されていることなど、事前調査の内容は多岐に
渡っていた。 現役時代、バンコク、香港に10年駐在され、そのとき、アジアの国には行き尽されたとか、また、地元の旅の会に所属され、
旅の記録をDVDに納め、報告会も持たれておられるとのこと。
タルトゥで偶然にお会いしなかったら、Aさんとは、二度と会う機会もなかったことで、メ-ルアドレス交換し、帰国後、旅のDVDも送って
いただいた。、写真がとてもきれいに撮れており、また、お互い旅の視点が違うこともあり、大変面白く、参考になった。
Aさんとは、ヴェリュニス同じ日に到着、そして、帰国日は2日遅れになるが、翌日、タリンへ向かわれた後6泊予定され、
ヘルシンキ~タリン間は日帰り観光。帰国は、タリン→ヘルシンキ→名古屋→千歳空港のル-トになるとのことだった。
バスタ-ミナルへはウヒスカ-ド往復使用。タリン→ラクヴェレ→ナルヴァ城へ行きたいと考えたが、やはり、バス約3時間と強行軍になる為、
ラクヴェレ行きのみに決めた。10時発のバスでラクヴァレに向かい、11:30着
ラクヴェレは、13世紀、周囲を見下ろしている野牛の丘を占領したデンマ-ク人が城を築き、城下の町がさかえた。デンマ-ク人により城は
築かれ、その後、リヴォニア騎士団に渡り、現在の城に改築される。以後、ロシア、スエ―デン等に占領され廃墟の城となった。
この地は、もう麦の収穫も終わり、麦藁の大きな束が転がっている。麦刈りの後、伸びた苗が黄色くなり、菜の花畑?じゃがいも畑?
城の中では、中世の衣装をまとった若い人たちの工夫されたゴ-スト屋敷のイベントが催されていた。暗くて細い通路を列になり 歩いて行くと、
いきなり暗闇!さらに真っ暗な中階段を下りると、不気味な奇声!演出と分かっていても、手探りの中階段を下り、地下の拷問室へ
行く時は背筋も寒くなった。後、崩れかけた塔、城壁に上り、かって、戦乱が繰り返されたは思えない、四方のどかな田園風景を堪能した。
ゼムガレ地方の街・バウスカ城
リ-ガ3日目・7月28日 リ-ガ~バウスカ~ルンダ-レ宮殿・(バス・3,05?+0.9?+3.05?)
9:15分 、5番乗り場からミニバス 発車。バスチケットは前日に購入し、発車時刻・乗り場も印刷して貰っていた。
途中、バスはトイレ休憩か5分停車も、ひたすら直線道路を走る。両サイドの景色は麦畑、松・白樺林、山や丘らしき景色も見えない。
12:40シャウレイ着。シャウレイは小さな町、徒歩、約10分のユ-スホテルに荷物を預け、再び、バスタ-ミナルへ。
シャウリュ・コレギアホステルは、シャウレイカレッジと隣接していて、夏休み中だからか学生さんもあまり見かけることもなく、閑散としており、
ホステルも、泊り客は、他に学生さんらしき人1人のみだった。
バスタ‐ミナルにて、翌26日、ラトヴィア行きのバス発車時刻を調べチケット購入希望するも、国際線はバスの中で購入するよう言われる。
14:15発の十字架の丘行きバスチケットはバスタ-ミナルで購入できた。(0.8?・復路は別会社バスの為か、1.6?)
14:30ドンマタイ下車後、徒歩15分で十字架の丘到着。ここでも、観光バス、車での観光が大半だった。
3 カナウスからリトアニア・シャウレイへ 7月25日(月)(バス 53km・10,7?)1泊(18?)
前日、2つの博物館へ行きたいと、予め、バスタイムテ-ブルを印刷してもらっていた。
博物館へは、カナウスから約20Km。9:30発、ミニバス(3.5?)にて、乗客3人を乗せ出発。運転手さんに、地球の歩き方の本を見せ、
「ここに行きたい」と伝えるも、「???」。しかし、乗車前に、キノコを買っていた女性が1本プレゼントしてくれ、通訳してくれ解決。途中、
バスは数か所で止まり、20人位で満席となった。両サイドは相変わらず松と白樺林が続く。
10:05、バスがいきなり止まり、停留所もないのに下車するように言う。「ミュウジアムは? 停留所は?」と聞くと、
「go
straight 10minittu .」,停留所は、「come
back] というのみで、道路の周りは、原っぱ! 家もない!誰もいない!すると、
一人の年配の女性が前にきて、運転手さんに、「停留所まで連れて行ってあげたら?」 と提案してくれたらしく、停留所近くにバスを
走らせてくれた。そして、10分間歩くようにと。その間、車中の数人の乗客は拍手して、バス停へ回るように賛成の意を表してくれた!
バス下車後、ミュウジアムの表示もない道路を歩いていると、今度は、遠くの原っぱで、ボ-ル遊びしていた男の子2人とお父さんが、
私たちを何か不審そうにみている!そして、お兄ちゃんが、「Where
are you going ?」と、叫ぶので、「ミュ-ジアム」と返すと、安心した
かみたいだった。それも、そうだろう。誰一人歩く人もなく、地元の人は、いったい何処にいく?と、心配してくれていたのかも知れない。
それにしても、やはり、ここはカナウス! 日本人だから? あちこちで、親切をいっぱいもらった嬉しい1日だった。
往路、同じバス停で待っていると、やはり、ミニバスで到着した女性3人に、「ミュ-ジアムはどこか?」と聞かれ、今度は、私たちが、
「この道をまっすぐ歩くように」 と、教えてあげることができた。
民族野外博物館は、18世紀~今世紀初頭にかけての木造建築が集められ、リトアニアの田舎の風景が再現されている。ひなびた
匂いのする民家、太い柱、家の中、台所用品すべて木造り。その上、屋根も、積雪に備えて急斜面の藁葺屋根。今では、日本でも
あまり見かけないが、日本の昔の風景ばかりだ。その、なつかしく素朴な茅葺屋根の中を、隅々まで駆け足で回った。
杉原記念館では、出身地岐阜県で作成された、彼の生涯をまとめたDVD,また、ユダヤの人たちが通過ビザ発給を受け、しばらく滞
在した敦賀での様子などを、後々、地元の世話に当たった人たちにインタビュ-した、DVDを見せてもらった。
DVDの中の一部は、映画で、ドキュメンタリなどで見た内容のものもあったが、真に、命のビザが発給された、この地で鑑賞しているかと
思うと、感慨深くもあり、希望して再度見せてもらった。”日本は、ユダヤを差別しない”の言葉を頼りに、通貨ビザを求め訪れる人々。
しかし、日本からの許可がおりず、ついに、外交官の良心として、ビザ発給サインを書き始める。1600人のビザ、家族をあわすと、
6000人の命を救ったことになるのだという。
珍しく快晴!8:20分ホテルチェックアウト 。タクシ-利用も覚悟していたが、駅まで10分の道をゴロゴロ荷物を押し歩いていった。
始め、9:30分発の列車予定だったが、8:48分発の便があり、早い便で行くことにした。しかし、次の9:30分発の列車は
車両も低く乗り降りに便利、荷物の積み下ろしのことを考え、また、急ぐ旅でもないのでと、1便遅い列車に乗り移ろうとしていたが、
駅員さんに呼び止められ、私たちの切符は8時48分発なので元の列車へ乗るように言われる。
列車は、一車両50席あるが10人足らずの客。指定列車にてカナウスまで約1時間半の旅。駅は通過を合わすと15~6駅と多かった。
この地は雪が多いのか、松、白樺など丈の低い木々の中を走り抜けて行く。時折、黄色く色づいた麦畑、穀倉地帯が続く。
カナウスに到着すると、東京・名古屋からの2人連れの女性も同じ便で、荷物を預け観光後、夕方にはリ-ガに向かうのだという。
10:40分ホテル・ibisチェックイン。(2時前のチェックインのため、2?料金追加)
ホテルは、バスタ‐ミナルのすぐ横にあると、旅の本に書いてあったが、今は工事中。バスタ‐ミナルは徒歩10分の場所に移動していた。
ホテルチェックイン後、まず、杉原記念館へ。かっての日本総領事館、杉原記念館は高台にあり、ホテルから記念館への道は、地図
片手に歩くと分かりにくかった。急坂の階段を上ると、駅で会った日本からの女性に出会う。彼女たちは駅近くの市場から坂を上ってきたの
だという。往路は、駅に向かって下り、カナウスの駅を見下ろす、道路の上にかかる高架の橋に出てきた。記念館のあと、バスタ‐ミナルに
向かい、リトアニア博物館・要塞博物館行きの、タイムテ-ブルと、カナウス→シャウレイ行きの、バステ-ブルを打ち出してもらう。
ケルナバは、リトニア最初の首都とされる遺跡。ネス川河岸の美しい丘陵地で、ユネスコの世界遺産に登録されている。
9:20分ケルナヴァにバス到着。、予め、下車するケルナヴァは終点ではなく、乗車時運転手さんに確認していたが、そこでは誰も下車
する人もなく、バス停留所も何もない!バスはすぐに走り去り、辺りには尋ねる人さえもいないのだ。仕方なく、少し歩いて行くと、
2012年にオ-プンしたという、考古学博物館が見えたので少し安心した。
文化保護区に指定されている要塞跡の入口は自由に出入り可能で、門は開いているが係員らしい人はいない。オ-プン前だから?
とも思い暫く待っていた。その内、1人、2人と丘陵地を歩く人の姿も見えたので、ネス川付近まで歩いて行って見ることにした。
丘陵地はきれいに整備されていた。そこは、日本でも見かけるかわいらしい高山植物が花さかりだった。
考古学博物館見学後、往路のバス時刻は調べており、下車した場所で待っていると乗せてもらえるだろうとは思ったが、中心となる町が、
どこかにあるのかも知れないと、少し散策することにした。
しかし、墓地の傍を、松林を歩いてみたが、民家一軒さえ見当たらない。バス停らしきがあり、調べてきた復路のバス時刻と合っている!
バスの時間表示が同じなのは当然のことだが、きっと、博物館オ-プン時には訪れる人も多く、停留所で乗り降りしていたのだろう。しかし、
今は、路線バスで訪れる人も少なくなり、遺跡入口に続く道路で乗下車させているようだった。観光客はといえば、車で訪れる人が数人。
復路、道路から少し外れた、ロ-タリのバス停で待っていると、バスは直線の道路を定時に走ってきて、確認もせず通り過ぎようとする。
慌て芝生の中を追いかけてストップしてもらった。せっかく、正規のバス停で待っていたのに、もう少しで取り残されていかれるところだった。
交通費:320,26?×122=36630円・国内交通費:
伊丹バス代往復650×4=2,600円
成田→羽田バス:6,200円
観光費用:249.3?×122=30,415円
食事代:297.4?×122=36,280円
写真展準備していた
翌日の人形像
1Dayチケットを購入。トロリバスをフル活用し、旧市街地、見所を観光。KGB博物館は、かって、ソ連の国家警察、秘密諜報機関が
置かれた建物。ここは、入口近くにいながらしても、中々分かりにくい場所だった。観光客らしき人が来たので、その人達の後を追い、漸く、
中に入ることができた。表札は玄関ドアに近づかないと読めない。主に、政治的な理由で拘留され、当時、実際に拷問などに使われた
施設が保存されており、其の生々しいKGBの所業を目の当たりにするのだから、ひっそりとした佇まいは当然のことかもしれない。
日課の散歩
トゥラカイ城
ヘルシンキ3日目 8月6日(土)列車:約30分・往復14:40?
シベリウス公園
街のあちこちでイベントが催されて
茅葺屋根と華麗なるフォ-クダンスショ-
シャウレイ⇒リガ
ヴィリニュス4日目・7月21日・・・ヴィリュニュスでの1日(バス24時間券・4.98?)
成田⇒ヘルシンキ
7時間25分の旅
ヘルシンキ⇒ヴィルニス
プロペラ機で1時間45分
1、リトアニア・ヴィリニュス空港、18:45到着(18:15分着の予定も30分遅れ到着)Comfort Hotel 5泊(327?)
ー旅のはじめにー
旅の総費用:490,659円(2人分)
旅の行程
シベリュウスの肖像・パイプのモニュメント
緑豊かで長閑な街の露店に
キノコ・野菜・果物が並ぶ
シベリウスの家
6、タリン→フィンランド・ヘルシンキへ8月4日(木)Hotel Arthur 3泊(475?)
豪華客船が停泊するタリン港
高速艇乗り場
市民ホ-ル港
バスタブ・冷蔵庫・朝食つき 今回の利用したホテルの中でベストだった
まず、カオドリオク公園へ。1番トラム終点と言うことだったが、工事の為だったのか?停留所で30分待っても来ない。結局、地元の人に
教えてもらい、3番トラムに乗った。カオドリク公園は、ロシアのピョ-トル大帝が妃エカテリ-ナの為に離宮と公園を造らせた地。現在、
宮殿は美術館となっている。
タリン最終日、高速艇タ‐ミナル・市民ホ-ル港の下見に行った。ホテルから徒歩10分、立派なホ-ルと勘違いし探すのに苦労した。
タリン5日目 8月3日(水) カオドリオク公園(交通費・ウヒスカ-ド)・旧市街地散策
傾いた建物・タルトゥ美術館
タリン4日目 8月2日(火)タルトゥへ バス・約2時間:往路8?・復路シニア料金7.2?
三位一体教会の塔・
野牛の像
タリン3日目・8月1日(月)タリン~ラクヴェレへ1:30分(バス:往路5.5?・復路3.5?)
エストニア野外博物館入口
旧市庁舎~ラエコヤ広場を
15世紀に建てられた
三人姉妹
聖オレフ教会の裏手に
石と化したオレフ
写真スポットの
ブレ-メンの音楽隊
京都・奈良にも旅され
親切を頂いた夫人
閑散とした・博物館入口
三位一体教会
松林・緑も多い・ユ-ルマラの海水浴場
リガ・バスタ-ミナル
リトアニアの人口よりも多いらしい
新旧のクロス・ロザリオ
ドマンタイ下車後
麦穂・玉ねぎ.畑のそばをを歩き十字架の丘へ
シャウレイカレッジの裏手にある
ユ-スホステル
シャウレイバスタ‐ミナル
民俗生活博物館入口
カナウスバス停でキノコを買う女性
カチカチ固いキノコ・通訳してくれた親切な女性
博物館・資料館
悲惨な遺品・写真集の中で・温かな気持ちにさせてくれる展示室
亡くなった方たちの写真を展示
要塞跡にあるモニュメント
第9要塞博物館入口口
記念館事務室
ヴィザ発給に使用された執務室
リトアニアのユダヤ人をすくう為に
協力したオランダの外交官達
階段を上り、道路を下る
トゥラカイ鉄道駅
夜中かなり降った雨も、あがったので、晴れるのを期待して、又、可能ならサイクリングも・・・と、トゥラカイへ行くことにした。
バス停から、1.5kmの道を歩いている内に、晴れ間も出て来た!まず、インフォメ―ションで、サイクリング出来るかどうか問うと、やはり、
湖から水があふれ道がぬかるみ危険と言われ断念。仕方なく湖水沿いの道を、もう一つの城、半島の城址を散策し歩いて帰ることにした。
はるか遠くの湖の向こうに、何処か見た駅?と、思ったら、湖水沿いの道が、バス停留所、鉄道駅まで長閑な景色が続いた。
ヴィリニュス5日目・7月22日…再度トゥラカイへ(往路バス:3.7?・復路鉄道:3.4?)
頑強な建物・KGB博物館
ラッパを吹く
天使の像
大統領官邸
大聖堂・鐘楼
教会の前で
旧市庁舎広場
聖母のイコン
ネリス川河岸にある丘陵地にある
ケルナヴァの要塞跡
パイの民族料理
キビナイの店
生々しいギロチン台
ガルヴェ湖に浮かぶトゥラカイ島城
郵便局にはお土産・絵本も
鉄道駅の隣にあるバスタ‐ミナル
航空機運賃:198,680円(197,240円+1,440円)
《ヘルシンキ→ヴィルニス座席指定1,440円≫)
宿泊費用:20泊・1,504?(1?=116円~122円)=179,854円
ラトヴィアは、人口約200万人の街。民族構成は、ラトヴィア人、61.1%に継ぎ、ロシア人は26.2%である。
ルンダ-レ宮殿は、「バルトのヴェルサイユ」とも呼ばれ、ロシアの女帝アンナに愛された、ピロン公の夏の宮殿として建て立てられた。ラトビアで
最も素晴らしいバロック・ロココ様式の記念建造物。サンクトペトロの冬宮を手掛けた、イタリアの建築家と同じ人に建てられた。
サンクトペトロの冬宮は、昨年訪れたことでもあり楽しみにしていた。しかし、サンクトブルグの宮殿の外観、内部の部屋のつくり、装飾、
宮殿前の庭園も、全く同じように見えたが、やはり、規模も内装・装飾も、スケ-ルがずいぶん違っていたようだ。
やはり、バックパッカの宿(1泊・45?)はひどかった。共同・シャワ-、トイレは仕方ないとしても、ホステルの前の道路にレストランがあり、
深夜までうるさい!夜中朝方、トイレに行くと、若い酔っ払い男性が2人、狭い廊下に大の字になって横たわっている。
翌朝、早々にチェックアウトし、直ぐ近くのForums
H(3泊・240?)に荷物をあずけ、早速、観光に出かけた。昨日のホテル騒動、
バックパッカの宿に疲れ、今日一日休息を兼ね列車に乗り、バルト海、リ-ガ湾の海岸ユ-マラでゆっくり過ごすことにした。
ユ-ルマラとは、ラトヴィア語で、「海岸」の意、30kmに及ぶ白砂の海岸線に沿って、12の街が集まっていると言う。リ-ガ、8:33発
→マジョリ9:04着後海岸を歩き、小学生のビ-チサッカ見学、そして、次にマジョリ11:58発→トゥムクス(12:43着に向かった。
2 ヴィリニュス~リトアニア・カナウスへ・7月23日(土)8:48発→10:20着・チケット・1人/4・7?) ホテル・2泊(82.75?+2?)
アイノラ村はシベリウス夫人、
アイノに因みつけられた
Jarrennpaa駅のプラットホ-ム
ロシアのピヨ-トル大帝が、この家の前で休んだ際、あまりの暑さに
、今度来るまでに暑さをしのげるようにと、2本の菩提樹が植えられた。
それまで、旧市地の下町には樹木を植えるのは禁止されていた。
出入口を守るために建てられた砲塔
ふとっちょマルガレ-タ
十字架の丘方面へ
ヴィリニュスへはヘルシンキ空港から、プロペラ機で1時間45分の旅。予約している、旧市街地近くのホテルは隣接している鉄道駅・
バスタ-ミナルから徒歩10分。鉄道、バスにするか迷った。列車での荷物の積み下ろし、鉄道駅の方が少し遠い?等と迷っていると、
バックパッカ風の女性が、タクシ-(10?)利用して、シェアしないかと持ちかけらる。しかし、同じ場所で下車するとも限らず、タクシ-に
3個の荷物を積むのは無理なこと。急ぐ旅でもないのでミニバス(1人、1?)で行くことにした。
ホテルチェックイン後、鉄道駅・バスタ-ミナルに行き、明日からの時刻表を調べる。
エストニア野外博物館・フォ-クダンス
ヴィリニュス2日目・7月19日 ヴィリニュス~トウラカイへ30km(往路バス:1.7?・復路列車1.7?)
1810年に建てられた旧天文台
シュトル-ヴェの記念碑
1810に建てられた
タルトゥ大学の旧天文台
城壁~の眺望
タリン2日目・7月31日(日)エストニア野外博物館へ・バス代:ウヒスカ―ド
城壁巡り入口
展望台~オレフ教会あたりの眺望
聖ニコラス教会・15世紀後半の作品
死のダンス
ド-ム周辺の露天市場
大きなド-ム5つ並ぶ
中央市場
リガ最終日、旧市街地を隅々まで散策し、夕食は昨日に引き続き旧市街地の中のレストランで食事することにした。今日も1日、食事に、
数々の親切に感謝しつつ、カ―支払いも済ませた。しかし、店の領収書は貰ったが、カ-ドの受け取りを持ってきてくれない!気ぜわしく
働いていた、テ-ブル担当の?若い女の子に問うと、「コピ-はいらないと聞いた」と、ふてぶてしそうに言い、店の中に入って行き、やっと持って
きてくれた。カ-ド支払いに慣れない旅行者?と思われ、もう少しでごまかされるところだった?
せっかく、今日も沢山の親切をもらいよろこんでいたのに。やはり、油断大敵!夕食後、リガ大聖堂のコンサ-トへ(10?)
カ-ド購入も可
バロック様式のフランス庭園
車窓風景
トウモロコシ畑
街のあちこちに像が置かれ、かわいらしい街
閑散とした娯楽室
タオル・シ-ツの綻びに!
松林・コケ生す萱ふき屋根
杉原記念館
自由がない
桜の園にある
杉原千畝記念碑・
博物館への案内・入口の表示なし
写真展開催
変身!
3つの十字架の丘
丘の上の
ケディミナスの塔
夜明けの門
ひっそりとした、考古学史博物館
ケルナヴェ・バス停
遠望で、羊?
遺跡出土品発掘場所
バスタ-ミナル
オペラ劇場
ケディミナス城
宮殿の一部
旧市街地にある、
宿泊したホテル
タルトゥ大学・聖ヨハネ教会
ヴィリュニスに向かう飛行機に
Aさんの後ろ姿も
ブラックヘッドの会館
野外博物館行きのトラムに乗車した時は大変だった。
始め、運転手さんに行き先を伝え、料金も払うつもりもトラムは運転席の窓口は小さく、何も尋ねることが出来ない!
無賃乗車にならないよう、乗車時すぐに、学生さんが自動販売機でチケットを購入しているのを見ると、何か事前にカ-ドを購入するらしく、
よく見ると、ビザカ-ドも使用できるらしい。カ-ドでの購入方法を学生さんに教えてもらうが上手くいかない!すると、別の学生さんグル-プ
の一人が助けてくれ取り敢えず1枚購入。更にもう1枚のチケットも追加購入。1.25?×2枚をビザカ-ドでゲット。118円×2の請求あり)
バスチケット購入もできた。次に、博物館のある駅を学生さんに尋ねようとすると、丁度停留所に着き下車されてしまう。
あてにした学生さんに下車され途方にくれていると、一人の女性が声をかけてくれ、その停留所まで行くので案内してもらうことになった。
彼女は日本にも演奏旅行で何回か来られたことがあり、お母さんはコンサ-トマスタ-、ご主人も演奏家の音楽一家とのことだった。
トラムを下車し、博物館まではバスで1駅だが、歩くには遠すぎるのでと、バス停まで連れて行ってくれた。(バス代2?)
博物館到着は4:30分、5時までには入場しなくてはならず、帰路を急ぐ人がいる中、本当に駈け足観光だった。
ラトヴィア民族博物館は(入園料:3?)ユグラ湖畔の松林に100余りの建物が集められた野外博物館。各家屋は昔のまま保蔵され、
田舎料理のレストランもあるらしいが、ゆっくり、見学することが出来ず残念だった。
ココロ調の装飾が美しい宮殿内部
ルンダ-レ宮殿
新旧トゥムクス駅舎
民族博物館から、14:40カナウスに帰り、15:00のバスにて、要塞博物館へ。(往復4?)
ここも、車でいくところなのだろう。運転手さんに本を見せて聞くとバスからわざわざ降りて、地下道をくぐり渡るようにと親切に教えてくれる。
往路、今まで、日本からの旅行者に余り会うこともなかったが、大阪から退職して2か月半の一人旅の若い男性にであう。
チェコ→ワルシャワ→エストニア→カナウス3泊→シャウレイ・・・・を旅しているという。
要塞博物館は、19世紀、ロシアによって作られた要塞跡。ここも、強制収容所として使われ、約5万人の人たちが殺されている。
重々しい雰囲気の要塞跡の建物を後にして、最後に2Fにある、杉原千畝展の部屋に入ると、急に緊張もとれ何だかホットしたのだった。
宿泊したIbisホテル
ウシュピシュレストラン
ヴィリニュス3日目・7月20日 ヴィリニュス~ケルナヴァへ 30km・バス50分(バス往復6?)
ヴィリュニス駅
聖ペテロ教会をバックに
国境
往路、お礼に立ち寄ると
拍手して喜んでくれたスタッフ
親切なスタッフ
広いアイノラ駅のプラットホ-ム
ヘルシンキ中央駅
ウスペンスキ寺院
マ-ケット広場
ヘルシンキ中央駅
-バルト3国の旅を終え、翌日高速艇にてフィンランド・ヘルシンキへ向かう-
ラエコヤ広場・市庁舎
大阪からの入場者2人目?
ラクバレ城全景
夜中、かなりの雨!雨はやんでいたが遠出を止めて、旧市街地を歩く事にした。
先ず、駅の東側にある、21番のバス停から約20分、エストニア野外博物館へ。往路のバスを待つ間もだが、路線バスの便数は少なく、バス停
が変更されていても、尋ねようとしても、タ-ミナルさえにも窓口はなく、結局、到着したバスの運転手さんに聞くしか方法がない。
エストニアの野外博物館は海と山に囲まれた広大な地に、17世紀~20世紀初頭のエストニア木造建築が移築、展示されている。
リトアニアでは、カナウスにあるリトアニア民族生活博物館で、日本の古い民家を思い起こさせるような木造建築と茅葺屋根と風景に魅せられ
てしまった。そして、ラトヴィアでは閉館前の慌ただしい観光。ここも、雨!!かとと思うと、訪れるのも躊躇していた。
博物館前でバス下車すると、今にも降りそうな空模様で客もまばら。しかし、(せっかく来たのだから・・・)と、シニア料金5?と、マップ10?
購入し入場。窓口で、「11時~ダンスが始まるから」と言われ、急ぐと、パラパラ雨が降り出す。茅葺、古民家のある広場には、子どもも
含めて、30数人位の民族衣装を着飾った人達がすでに勢ぞろいしていた。
フォ-クダンスが始まる?と思ったら、ザ―と、かなりの雨。家の中へ引っ込み、空を見上げては諦めモ-ドとなる。!それを、何回か繰り
返し、終に、屋外のでのダンスショ-は諦めたのか、軒下でのフォ-クダンスの始まりとなった。客はといえば数人の人たちが傘をさしての見学。
ところが、しばらくすると狐の嫁入りではないが、雨あがる! 青空!! ダンスショ-が、再びオ-プン!!観光客も少し増えてきた。
しかし、ダンスショ-を最後まで見ることなく残念そうに帰って行く人達。
気づいてみれば、バイオリン演奏をバックに約1時間のショ-を、始めから終りまで楽しませてもらった。その上、途中2回も、輪の中に誘われ、
童心に返り見よう見まねでステップを踏んだ。急ぎ早に立ち去る人も多い中、時間を気にすることなく心行くまで過ごすことができた。
ふるさとの、古民家を思わせる、木造の藁ぶき屋根の前で、念願の民族衣装の人に出会い、ダンスショ―を楽しみは最高の1日となった。
ダンスショ-後、海辺を見たいと、博物館の中を急いだが間もなくかなりの雨。軒下で雨宿りしながら待つも、終に諦め博物館を後にした。
本当にラッキな一日だった。日曜日のみ開催らしく、帰路、フォ-クダンスの看板も取り外されており、午後の部は催行中止のようだった。
城壁~の眺望
精霊教会・1483年作成の木製祭壇
教会へのトロリバス
チケットチェック中
聖ペテロ教会の、
2000以上ある漆喰彫刻群が飾る
聖ペトロ&パウロ教会
バウスカ城の塔~メ-レル川添いの風景
聖オレフ教会
リ-ガ大聖堂を後に
リ-ガ4日目・7月29日 旧市街地散策と民族野外博物館へ(往路:トラム1.25?・バス2?・復路:バス1.4?)
新旧の駅舎
リ-ガ2日目7月27日(水) リ-ガ~ユ-ルマラ(列車30分・1.4?)~トゥクムス(45分・1.9?)(復路:2.4?)
4 シャウレイ~ラトヴィア・リ-ガへ 4泊・285? バス:11.5?
ミニバス下車後、緑の中を歩く
今は長閑な地に5万人の人々が虐殺された 強制収容所跡
カナウスでの1日 7月24日(日)リトアニア民族博物館・第9要塞博物館へ
バス発着タ‐ミナル
ホテル~10分大型専門店入口、
バスチケット売り場
聖アンナ教会・ベルナルディン教会
トゥラカイバス停で親切をうけて
7/18 伊丹(7:55発)→成田(9:20着・11:00発)→ヘルシンキ(15:20着・16:30発)
→エストニア・ヴィルニス18:15着
8/7 ヘルシンキ・17:15発→8/8・成田・08:55着(バス移動3時間)羽田・12:30発→伊丹・13:30着
旅程:リトアニア・ヴィリニュス5泊(7/18~22)→カナウス2泊(23・24日)→シャウレイ-1泊(25日)
→ラトヴィア・リ-ガ4泊・26~29日→エストニア・タリン5泊・7/30~8/3→フインランド・ヘルシンキ3泊・4~7日
完
ト-ムベア城・のっぽの塔
イタリア建築家による後期バロック様式の宮殿。
ラトヴィアのルンダ-レ宮殿と時代も様式も同じ
庭園・宮殿内部もよく似いる
公園内には幼稚園もあり、
長閑な風景散歩
サクランボが食べごろ!
14世紀の、半島の
もう一つの城
外海に向かって備えつけられている大砲
かって、数々の戦争の舞台となった要塞
今は、のどかな風景
廃墟となった古い城址
トゥムクス駅舎
駅から丘の上に上ると、旧市街地に繋がる
長閑なMAJORI駅の光景
1923年当時のトゥラカイの街
シュトバ
聖オレフ教会・塔からのの眺望
Topペ-ジへ