― 旅の総費用(2人分):679,439円
●航空運賃:361,460円(Tax/サ―チャ―ジなど含む)
●宿泊費(11泊分):99300円(1泊:9030円)
●ジンバブエ viza KASA 50弗×113×2=11,300円
●観光費用:159,959円
現地ツア-:129,739円(5回分)・入園料・現地交通費など:30,220円
【内訳】ビクトリアフォ-ル入園料(ジンバブエ30弗・ザンビア20弗)×2=11,300円
テ-ブルマンテンロ-プエイ往復:9,180円・バスマイシティ:1,080円・空港⇔ホテルタクシ-17,840円
●食事代:31,100円
●その他:16,320円 ( 保険:10,120円・関空往復:6,200円)
※香港トランジット費用:香港ドル800=12,000円(総経費より除外)
7月1日(土)ボツアナ・チョベ国立公園へ(2人・320ドル・ランチ付き)
7時10分、ホテルピックアップ。120か国旅しているというアメリカからの旅人、マレ-シアからの袈裟姿のブッダ、,そして、私たち3人を
乗せて、ジンバブエのボ-ダ-まで約1時間。時折、ゾウがインパラの群れ、ブ―マ(豚?イノシシ?)等見かける。ボ-ダ-を超え、ボツアナ
入国後も車が変わり、10時チョベ国立公園入口、カネサのホテルへ向かう。
カネサのホテル到着後、今度は10人の客を乗せ、サファ-リボ-トツア-の始まり。ボ-トはザンビア・ナミビア国境添いを流れる、チョベ川に
広がる平原の中を進んでいく。隣のボ-トを見ると、横並びにカメラをセットしてスタンバイしているカメラマンがズラリ-! 流石だ!
動きのある動物の写真となると、三脚でしっかり固定が必要!!
ボ-トが動き始め、目についたのは、川の中に横たわる枯れ木・枝に留まる鳥!羽を休めたり、広げたりなどのポーズ!まるで、芸術作品!!
と、見とれていると、それは、なんと、獲物の魚を見つけ、すぐに飛び立てるようにスタンバイするぬかりのない鳥たちなのだ! 感心してしまった。
岸辺では、口からはキバ! ドウモウな姿形しながら、口をあけだらしなく寝そべるワニ。次に、一頭のゾウが山の方から現れた。
そして、目の前で糞をしながら行ったり来たり・・・。まるで、パフォ-マンスして見せてくれているいるかのようだった。
バッファロ-の大群が角を突きだすように突進してきたときは、映像を見ているかのようで凄かった。今度は、30頭くらいゾウの群れ!!
浮き沈みしながら川を泳ぎ渡っていくさまは、動物たちにとっては日課?かも知れないが、私たちに楽しませてくれるショ-にも思えた。
中洲の岸辺にはカバたちが、だらしなく重なるように、30頭くらい寝そべり、すぐそばで、2~3頭のカバが争っている?ガイドさんの説明によれば
テリトリ-をおかされないように、お互い威嚇しあっているのだという。
6月29日(木)ヨハネスブルグ10:50分発→ジンバブエ・ビクトリアフォ-ル12:30到着
ヨハネスブルグ到着時に、既に予約していた、白タク(500R)に乗り空港へ。
今日の移動は国際線でもあり、車は9時前に空港に到着し、時間も十分にある。しかし、ここでも、空港職員らしき名札を示しながら、
「自動チェックイン機」 に連れて行かれ、e- チケットを見せろという。
見ると、少し離れた場所にチェックインカウンタ-があり、大勢の人が並んでいたので、無視して歩いていると、また、別の男に連れあいの
手にしていた、e-チケットが渡ったようで、自動チェックイン機であっという間に、2枚分航空券を発券している!
(eチケットには各自名前を記入してあるが、1枚あればいいらしい!)
そして、受付カウンタ-に、並ぶ必要もなく荷物を預け一件落着とも思えたが...、突然、「チップを」と請求され、持ち合わせの小銭を渡すと、
「少ない!」と文句言われたそうだ。
ジンバブエ入国は、VISA(30弗)が必要。ザンビア側の滝、ボツアナのチョベ国立公園にも足をのばす予定で、KASA ビザ(50弗)の
方に並ぶ。しかし、大半の人がKASAを希望するのに1列しかなく、長蛇の列ができ進まない。結局、ビザ取得に2時間も要した。
ビザ手続き待ちの間、四国からの一人旅のHさんと偶然ホテルも一緒! タクシ-代もシェア-することにした。 Hさんは、タクシ-運転手に
「30弗? メ-タ-OK?」と、簡単な言葉でスム-スに交渉を進めてくれた。現地では簡潔に、こちらのぺ-スで進めていく必要があるようだ。
6月27日(火)ソウエイト・アパルトヘイトミュウ-ジアムツア-(2人分:約2万円)
ツア-参加者は,私たち2人のみ。運転手兼ガイドのシボ-ニさんは、5年前からガイドの仕事に就き、18歳と15歳の子どもさんがいる。
自宅は35Km離れたダ-バンにあり、毎月曜日の休みに帰っているが今回は私たちのツア-後に帰宅するとのこと。
言葉はズル語と英語を話し、また、ツア-会社はケ-プタウンと同じ、走っている車の大半は日本車だった。
1964年国家反逆罪で終身刑を言い渡され、後、27年間の獄中生活を経て大統領に。弁護士、政治家として、平等な理想の社会の
実現を目指し活動され、不屈の精神で闘ってこられ2013年亡くなる。
マンデラ大統領の数々の業績は、「偉大なる、国民に慕われる大統領」として語り伝えられているようだ。
【Nelson
Mandela氏の言葉(1952年)】・・・ミュウジアムの展示より
「One day I will be the first black president of Africa]
「白人による支配に反対し、そして、黒人による支配に反対してきました。全ての人々が協調して、平等な機会の下で共に暮らしていく民主的な
自由な社会という理念を大切にしている。この理想に人生を捧げ実現を目指すことが最も望ましいですが、必要であればこの理想の為に
死をもいたみません。」
若き日に黒人の初めての大統領になると宣言し、そして、実現。しかし、今もなお差別のなくならない世界にあって、人々が協調して、
平等な機会の下で共に暮らしていかれる民主的な自由な社会の実現にはまだほど遠いのかもしれない。
6月26日(月)ケ-プタウン~ヨハネスブルグへ
8時45分発飛行機のため、朝食を急ぎ食べ、6時30分のマイシティシャトルバスで空港へ。
飛行機はほぼ満席で、ヨハネスブルグ11時45分着。ヨハネスブルグの空港職員は親切というのか?要注意!!往路、香港から着後、
ケ-プタウンでは国際線から国内線に乗り換えの時のこと。入国審査を受け、荷物を受け取り広い空港内を移動し、大きなバッグを預け身軽に
なった途端、2人の空港職員らしき男性が名札を見せ近づいてきた。そして、国内線の方へ、それもわざわざ2組に分かれ案内してくれる。
「どこから来たか?これからどこへ行くのか?」「ヨハネスブルグは安全な街か?」など他愛もなく話しながら歩いていた。
すると、先に前を歩いていた連れあい、「何かチップくれ言うてるで.。金なかったらチェンジしてほしいと。ドルでもいい言うてるわ」
(荷物を持ってもらったわけでもなし、勝手にガイドして厚かましい!空港内なのできっぱり断わる?)と、考えていたら、「5ドルあったわ!」 と、
既にチップを渡していた。
ケ-プタウンでの滞在も終え、つい5日前にそんなアクシデントがあったことも忘れ、今度は、2万円チェンジしているとき、白タクに目をつけられた?
今回の旅は、空港から可能ならホテルの送迎を頼む事。又は、ACSAロゴ入りのタクシ-に乗るよ事と。ネットでタクシ-代300R(約、3千円)
ということも確認していた。
しかし、近寄ってきた運転手、何故か黄色の、一見、空港職員風のゼッケンをつけているが無視して、タクシ-カウンタ-の方に行き、”ACSA”の
タクシ-かどうか確認していると、「same
same・・・」と、その男は言いながら、勝手に私たちの荷物を運び、ホテルの行き先を印刷していた
紙まで持って行ってしまう。
乗車時、「メ-タ-は?」と確認すると、メ-タ-を示してくれるが、”オンボロの大型バン8人乗り”、明らかに白タク!
結局、タクシ―代金610Rで約2倍取られ、「高い!」と文句言ったが、心優しき人は更にチップまで渡し、「変な所へ連れて行かれるよりまし?」
と一件落着となった。
ホテルチェックイン後、今度は、3日後の空港行きの車はホテルのフロントに頼む方が確実と思い、聞くと、「シャトルバスはない。タクシ-500R」
という。値上がりした?と一瞬思い、後で依頼するからというと、その日は「非番だ」とフロントマン。そして、「今すぐ予約の電話をしていいか?」と、
しつこく尋ねられ不信に思ったものが・・・。結局、3日後のビクトリアに向かう車も白タク。また、荷物を部屋に運んだドア―マンは、フロントマンと
目くばせしながら、しつこく、何回もツア-の誘いをかけてきた。すでに、ツア-は申し込んでいると、何度説明しても・・・。
6月24日(土)タウンシップツア-とロビン島1日ツア―(費用2人分約1万8000円)
ツア-は、ガイドによりこうも変わるのかと思うくらい、前日と同じツア-会社なのに、いい加減な運転手兼ガイドだった。
ホテル9時ピックアップ予定が大幅に遅れ、次のピックアップ地がホテルでなかったこともあり見つからない。既に乗車しておられたオ-スとリアの
ご夫婦・11才のお嬢さんも一緒になって探していたが、家が、どうやら番地つづきになっていないらしい。
結局、ほんの直ぐ近くをウロウロしていただけなのに、クエ-トからの3人の男の子とご夫婦が合流されたのは10時過ぎ。全員揃い、歩いて、
すぐ傍のタウンシップミュウジアムへ。
ミュ-ジアムは、人種ごとに住み分けさせられていたアフリカアパルトヘイト時代の歴史を展示している。
次に、政府によって区分けされた、旧黒人居住区・タウンシップに行った。タウンシップは、アパルトヘイト撤廃後も職につけない人、共同体の
生活を好む人々などが今も暮らしている居住区で、以前のツア―ではタウン内を歩きマ-ケットや民芸品店に立ち寄り、地元の人たちとの交流
も持っていたようだが、最近は、トラブルを避けるため?有色人種の人々の暮らしを車窓から垣間見るだけに変わったようだ。
車窓からは、ケ-プタウンの街での近代的な暮らしからはとても想像できない、子どもたちの遊ぶ様子、鶏の毛をむしり調理する人、露店で
網に焼とりを並べ焼いている日常生活の様子が見られた。
空港から、シャトルバスの中から見た広範囲に広がるタウンシップ、トタン屋根の並ぶ家々と、昨日喜望峰ツア-で走ったケ-プ湾添いの高級
居住区との違いを改めて思った。
ホテル8時ピックアップ後、東京の女性2名、ドイツ、オ-ストリアからのカップル合計8名
ピックアップし、8:45分ウオ-タ-・フロント出発。
大西洋・テ-ブル湾添いの美しい街並みの中を走り、途中、Hout
bayでボ-トに乗り
ドイカ島へ向かう 。
島は、オ-ットセイ、カモメの聖域らしく、船で約10分。波が高く船が大きく揺れひっくり
返るのでは? と心配したが、船には救命用浮輪が1個設置されているのが目についた。
島には上陸することはできないので、大きな岩場近くに船をとめ見物する。
重なるようにねそべるオ-ットセイたち、
あちこちの大きな岩々に横たわるオットセイの群れは圧巻だった。また、遥か向こうの大きな
岩場にテ-ブルのような岩を埋め尽くす黒い群れ!! たずねると、鳥とのこと。
どうやらドイカ島は、オットセイとカモメにとって、居心地のよい最高の住みからしい。
チョベ川沿いからの眺め
最後に、アパルトヘイトミュ-ジアムへ
2001年にオ-プンした博物館は、人種差別の実態やそれに立ち向かおうとした人々の苦悩の歴史
また、二度と悲惨な差別が起らないことを願い人種差別とは何かを問う、マンデラ大統領の年譜・
ヘクタ-ピ-タ-ソンの悲劇の写真などが展示されている。
―大統領となったマンデラ氏がテレビで民衆に訴えた言葉―
『27年間の獄中生活を送った私が赦せるのだから、あなた方も赦せる筈だ。』
『生まれた時から、肌の色や育ちで他人を憎む人などいない。 人は憎むことを学ぶのだ。
しかし、憎しみを学べるのならば、愛を学ぶこともできるのだ。 憎しみに比べて、愛は、より自然に
人間の心に届くものだ。』
6月25日;岩盤でできた山、海抜1087mのテ-ブルマンテンウオ―キング
テ-ブルマウンテンへのツア-もあったが、せめてここだけでもと二人でいくことにした。バスチケット1日券購入し、マイシティのバスに乗り、
Kloof Nekで下車。そして、無料シャトルバスでケ―ブルカ-乗り場へ(料金2人:4,600円)
頂上は風もあり寒かった! 手袋の準備もせず、手がかじかみどうなることかと思われたが、ここは朝夕・日中のの寒暖の差が大きく、陽がさして
くると寒さも感じられなく快適なウオ-キングだった。
反省点として、岩盤の上を歩き、一部鎖場もあったのに、私たちはスニ-カという軽装。やはり、防寒具の用意も少しは必要。
夕食は観光客も多く安全と言われているウオ-タ-フロントへ。4泊目にして初めて、シ-フ-ドレストランで食事を楽しだ。
徒歩またはケ―ブルカ-で
12時:Cape of good Hope到着
喜望峰では、食事時間を含め1時間45分の滞在と短く、先ず、灯台が建つ展望台
へ向かった。展望台から半島の最南端ケ-プ・ポイント、インド洋と大西洋の海流が
ぶつかる灯台に続く道が見えたが、そこは、駐車場から徒歩約1時間要とのこと。
その為、時間の許す限り歩くことにした。
灯台の裏側から絶壁の岩場の上に建つ灯台を仰ぎ見, 岸壁に打ち寄せる大きな波を
目にし、かって、この地は、強風が吹き、遭難する船も多く幽霊船の目撃談もあったので、
当初、発見者のディアスが、「嵐の岬Cape of storms」 と名付けられていたらしく、
なっとくだった。
往路、車窓近くにまでダチョウが近寄ってきてくれた。それは、あまりにも突然のことでで
写真におさめらず残念!
しかし、大きなシカ、シマウマ、ヒヒなどの野生動物も遠望だが見ることができ、はるばる
南アフリカ・喜望峰にいることを実感した一日だった。
8年前、私たち夫婦で旅した南米33日間の個人旅行は最高の思い出となりました。
パタゴニアの雄大な自然・氷河、ワイナピチュから見たマチュピチュの眺望、また、イグアスの滝では、アルゼンチン・ブラジル両サイドを2日間
たっぷり歩き、個人旅行ならではの醍醐味を味わうことができました。
イグアスの滝を歩きながら、その時既に、ナイアガラの滝は訪れていたので、いつかは三大滝の一つ、”ビクトリアの滝”にも是非行ってみたい
と、夢を温めておりました。
そんな中、5年前に知人ご夫婦が9日間の南アフリカ・ビクトリアフオ―ルツア-に参加され、旅の詳細をコピ―させてもらい、
また、航空券もネットで調べて、いつでも旅できるよう準備は整えていました。今回、他の旅行の企画をしていたところ、航空券購入を迷って
いる内に4万円近くも値上がり。一方、南アフリカ行きの航空券は、5年前より香港でのトランジット10時間待ちと言う悪条件はあったが
4万5千円も安い!しかも、時期として6月~7月はベスト!!早速、5月始めに航空券購入し旅の準備を始めました。
しかし、旅の企画を練っていると、ビクトリアフォ-ルのあるジンバブエは旅レジ危険情報では全域黄色一色の要注意!また、近年、極度の
インフレに陥り、2006年に通貨の3桁切り捨てるデノミ実施もインフレは治まらず、通貨紙幣の発行停止され、現在は、南アフリカRと
米ドルが流通,その影響もあり治安は不安定。観光地の滝周辺は警備が十分になされているが夜間はで歩かないように。
ヨハネスブルグ、ケ-プタウン・ビクトリアフォ-ルに於いても、
※「2016年1月現在、外務省より十分注意してください」 との、注意書きが赤字で旅の本の随所に記載されていた。
その為、今回の旅行先は列車・バスなどの交通便は整っておらず、また、ケ-プ・ポイントには、レンタカ-利用以外はツア-に参加する
方法しかないらしく、ケ-プタウン2回、ヨハネスブルグ2回、ボツアナ1回、 現地発着のツア-を使うことにした。また、ホテルは比較的安全と
言われている地域に予約した。
3か所のドライブサファリ-に訪れた旅人と
動物の写真
閑散とした
公園入口土産も屋さん周辺を警備
ケ-プタウン駅
6月28日(水)スタ-クフォン洞窟・レセディ文化村ツア-(ツア-料金2人分2万円)
ヨハネスブルグの北西約35Kmにあるスタ-クフォン洞窟は、1896年、『金』の探鉱者によって発見され、後、1947年、約200万年前の
類人猿アウストラロピテクス・アフリカヌスの頭蓋骨が発見された。
地下40mもある洞窟内をガイドの案内で歩く。また、洞窟から出土した人骨・化石など展示しているビジタ-センタ-見学
午後は、黒人専用の刑務所があった島、ネルソンマンデラ氏も収容されていたロビン島へ。
島は、1959年から最後の政治犯が釈放されるまでの30年間、延べ3000人が収容され、現在は博物館になっている。
船でウオ-タフロントから約30分と近いが、ここも予約の時間変更した?又は、オ-バ-ブッキングだったからか、予約してた1時発の船に
乗れず、そのため、最終集合時間にも遅れた。
更に、島から帰った時、迎えの車・ガイドさんは約束の場所に待機していない!クエ-トからの家族が1時間も待ってくれ、ツア-会社に連絡。
ようやく別の運転手が来てくれ事なきを得た。
しかし、途中、ペロン島ツア-は娘さんが車酔いで体調悪くキャンセルされたこともツア-会社の人にも伝わっていなかったようだ。オ-ストラリア
からの家族は、航空会社関係の仕事で、東京にも住んでおられたらしく、娘さんも日本語が少し話せるらしく私たちも楽しみにしていたので、
途中で帰られ残念だった。
ペロン島では、下船後はバス周遊ツア-で島内を見学し、最後に、実際に島に収容されておられた方が、当時の状況なども案内してくれた。
何も罪をおかした訳でもなく、ただ有色人種という理由だけで、長きにわたり政治犯としてペロン島での抑留生活を余儀なくされていた人達の
話は、言葉は十分理解できなくても、何かしら一言、一言に重みを感じた。
国境を超える橋を走る電車
マンデラ広場にある図書館
ドイカ島観光後は、大西洋沿岸からインド洋、フォルス湾に向かて走り、ケ-プ・ペンギン (英名・アフリカペンギン)の生息地サイモンズ
タウン・ホルダ-ズビ-チへ
ビ-チの遊歩道のすぐそばにペンギンが!! ペンギンの親子? 家族?仲間?とつい想像させてくれるかわいらしいペンギンたち。
一瞬、アフリカでペンギン!?とも思ったが・・・・、後、ペロン島の木陰でもペンギンを目にすることができた。
かって南米旅行時、南極にも近い極寒の地、チリ・プンタアレ-ナス・ペンギン島のペンギンたちのことを思うと随分違うようだ。
岩の上に群れる鳥たち
【ケ-プタウンでの4日間】
中洲では親子つれの象たちが
重なり合い眠るカバたち
ツア-発着カサネロッジ
手斧で柵作り作業
滝の上流は穏やかな流れ!
Kazaビザ
New York 12,541Km
Sydeny 11,642Km
Amsuteldom 9,635Km
London 9,263Km
11,642
完
下船後バスで移動
おだやかな流れ滝の上流
20数人のメン-バ-で入れ替わりしながら
部族伝統のダンスに現代のダンスショ-も!
幼虫入りカレ-
洞窟ガイド・運転手さんたち
次に、ヘクタ・ピ-タソン博物館へ
1976年6月16日、ソウェトで大規模な反アパルトヘイト暴動が起り、警官に発砲され、最初の犠牲者となった少年、ヘクタ―・ピ-タ-ソンを
抱える生々しい映像などが展示されている。
暴動の発端は、黒人の学校で、南アフリカに最初に移住してきたオランダ系の住民の言葉、「アフリカ-ンス」を授業に使うことを決めた政府に
反発し、デモを行った生徒に発砲され、犠牲者となった少年の映像がきっかけに暴動に繋がったとされている。
博物館には狙撃されたピ-タ-ソンの遺体が運ばれた場所に、「1976年6月16日記念碑」があり、多くの小学生、中学生達が訪れていた。
子どもたちは犠牲者となったピ-タ-ソンの悲劇の状況を真剣な面持ちで聞いていたが、後、現代っ子らしくVサインで、にこやかに記念写真に
おさまっていたのがいたのが印象的。そして、私たちにもにこやかに話しかけてくれた。
1955年人種間の差別のない民主的なアフリカを目指すことが記されている『自由憲章』が、ここシ-スル広場で採択された
街はどこでも工事中
岩盤の上を歩く!!
ミュ―ジアム内部
店で尋ねるガイドさん
ツア-集合場所
ウオ-タ-フロントのホテル
ケ-プタウンのペンギン
4日間朝食作ってくれた
コックさん
ビクトリアの滝
12時~1時半バイキングランチ
南部アフリカの中で最も豊かな国といわれるボツアナは、ジンバブエの街から入ると、道路そいに建つ家並みやボ-トサファリ―、ゲ-ムドライブの
発着するホテルを見ただけでも実感!バイキングランチの品数も、デザ-トメニュ-も豊富だった。つ
い隣なのに、自国ボツアナの通貨を持ち、従ってドルは使えず、現地の通貨持ち合わさず、ビ-ル代はカ-ドで支払う。
日時計で時間を
計ってくれるガイドさん
オ-プンしたばかりの洞窟窓口
観光客も少なく閑散としていた
運転手兼ガイドさんと
ホテルはヨハネスブルグ中心地ではなく、比較的安全とされているサントン地区だったので、13時発のホテルのシャトルバスで、マンデラスクエア
まで行き散策することにした。スクエアには、巨大なマンデラ大統領の像があり、写真撮影のスポットになっているようだ。
復路のシャトルバスを待つ間、大きなショッピングセンタ-に入ったが買い物もなく、トイレに行くと、何故か何処も清掃中?フロア―を変え
トイレを探すと全て使えない!尋ねると、トイレが詰まり全館水が流せない!何処も使用禁止らしい。飲食の店も多く、何時トイレ使用できる?
とも思いながら、目についた図書館に入ってみた。
ここ図書館は世界共通?誰からも声かけられることなく、静かで、居心地よい場所だった。しかし、復路のシャトルバスは定刻を大幅に過ぎても
迎えに来てくない。結局、歩いて帰ることにした。街を歩くのは危険!と言われており、人通りも少なく、6時頃にはうす暗くなり緊張したが、
ビル改装中?の工事現場が多く、高いところから、「China?
Japan?・・・」と大きく手を振っては、にこやかに、「コンニチワ」 と声かけてくれ
旅の緊張をほぐしてくれたようだ。
見ざる・聞かざる・言わざる
ビッグツリ―への道を聞くと
停まっていたタクシ-を教えてくれる
ガイドさんと一緒に食事
運転手兼ガイドさんと
タウンシップ車窓観光
自由になるための10の教訓を記している
雑誌ギャラリ-
空港ゲ-ト内にある
靴磨き風景
ようやく、全員集合
黒い羽根
オスのダチョウ
岩壁の上に立つ展望台
ボルダ-ズビ-チの
ペンギンたち
午後からは、ゲ-ム・ドライブツア-
サファリツア-と言えば、密林の中を走ると想像しがちだが、私たち3人を乗せたジ-プは、ボ-トサファリ―から眺めた小高い林の中を走り、
やがて、チョベ川そいへ。
始めに、ゾウが数等、次に、キリンの兄弟が2頭、更に、数頭のキリンの親子たちがのんびり草を食むさまを見ていると、ここは、弱肉強食という
争いもなく、平和なんだ!・・・・と思っていたら、突然、運転手さんがジ-プをとめ、カメラを渡すよう言う。
遥か中洲の枯草の中に横たわり眠るライオンを素早く見つけて、シャッタをおしてくれた。真を写し終えて、ガイドさんが、
「あそこに、草むらにライオンが・・・」 教えててくれるが、見つけるまでが大変!カメラのレンズを通し、「どっちが頭?お尻?」と後々議論する
ほどだったのに、瞬時に見つける運転手さんの視力に脱帽だった。、3日連続になったが、ケンタッキと持ち寄りの食事でビヤパ-ティを楽しんだ。
ホテルからビクトリアの滝入口へは徒歩10分(入場料1人30弗)
滝の幅は約1700m、1200mがザンビア領、残り500mがジンバブエ領となっている。
8:30公園に入ると、人はまだまばらで、リビングストンの像から歩き始め、滝に近づくと、いきなり、”虹! ”爆音・雷鳴とも錯覚して
しまいそうな滝の音! もうもうと上がる水煙!!
落差の大きい滝の爆音。消えては現れる見事なグラデュエ-ションの虹に圧倒され、幾度、シャッタを押したことか。しかし、あまりの水煙の多さに、
カメラのレンズは曇り、雨が降っている訳でもないのに服もズボンもびっしょり!!
カッパ持参をと聞いていたが、また公園入口でレインコ-トのレンタルもあったが、何しろこの青空!雨具の準備を怠り、カメラレンズが
開閉しなくなりおお慌てだった!!
6月30日(金);ジンバブエ・ザンビア両側からビクトリアフォ-ルへ
偶然、飛行機・ホテルも一緒の一人旅のHさんは3泊滞在で、3日間行動を共にすることにした。
Hさんは、定年退職後航空券もネットで購入し、3か月間の世界一周の旅、メキシコ・キュバ-・ウユニ塩湖、南米等も、既に、80か国
旅されている。10月には貯めたマイルを使い、また、来年2月の旅行も、既に航空券も購入済。今回7泊の南アフリカ旅行はヨロッパ旅行の
途中に寄られた40日間の旅のひとコマだった。参考までに教えてもらったHさんの今回のコ-ス。
・成田⇔ミュウヘン(航空券6万8千円)
・ミュウヘン→ヨハネスブルグ→ビクトリアフォ-ル→ヨハネスブルグ→ケ-プタウン→ヨハネスブルグ→ミュウヘンの航空券約10万円。
既に、ヨ-ロッパでは、ミュウヘンからスペイン・ベルギ-、オランダ・フランス?4路線の格安チケットで旅されたとか。写真・絵画が趣味で、
大型のカメラに大きなバッグを抱えられ、とてもバックパッカ-風には見えないが、安い航空券・ホテルで旅を楽しむ!そんな旅人だった。
コンパクトなフロント
閑散としたジンバブエ
ビクトリアフォ-ル空港
ヨハネスブルグ3日間
大きなショッピングセンタ-もある
マンデラ広場
ジンバブエ側の滝に堪能し、ザンビア側の滝へ
ザンビア領の滝には、ビクトリア大橋をわたり(タクシ-も停まっており、利用可)出国、入国手続きしザンビアの滝へ
ザンビアへの入国のVISAは、24時間以内の滞在にはデイ・トリッパ―で20弗必要とのことだったが、入場料20弗のみ支払っただけだった。
滝は勿論、滝も虹も素晴らしかったが、ここも水煙が激しく、夕立のような雨!!せっかく自然乾燥していたズボン・シャツがまた...、
カメラもシャッタがおりらくなってしまった! ビクトリアの滝を歩くときはレインコ-ト必須! そして、カメラレンズを保護するカバ-も!!
再び、大橋を渡り出国・入国手続きをして、夕方6時、ジンバブエのホテルに帰った。
公園入口
リ-ズナブルなホテル
朝食5ドル 夕食はなし
15:45;HIホテルチェックイン
ホテルチェックイン時も面白かった。Hさんとチョベ国立公園へも一緒に行くことになり、お互いに部屋代も払い、旅の本に書いてある同じ
ツア-会社のチラシがホテルに置いてあったので、(本は200弗、チラシは160弗)詳細を尋ねると、ホテルマンは他の客もいたからか、
「1分待て、3分待て・・・」と、随分待たされた。
後、他の客がいなくなると、ホテルマンは、おもむろに、「チラシに書いてあるツア-と会社が違うが、160弗+15弗(入園料?から
20%ディスカウントする。144ドルでどうか?」と、パソコンに数字をを示しながら説明してくれる。
(安い!)一瞬心は動いた!! しかし、後から決めるというと、「明日は非番?なので、今、決めてほしい!」と。
結局、小さいホテルだったが、ツア-デスクがあるのを確認していたHさんが断わってくれた。
翌夕方、ツア-デスクは閉まっていたが、ホテル受付でツア-に参加したいというと、直ぐに担当者が飛んできてくれた。
費用は一人160弗ジャスト。あの15弗加算はいったい何だった?
キャピタルホテルフロント
プ-ル・ジム設備もあり
タウンシップでの生活風景
車窓観光
―無事旅を終えて―
予てからの念願だった南アフリカの旅をおえ、”思い切って行ってよかった!”と改めて実感している。
関空のチェックインインカウンタ-で、男性職員からヨハネスブルグで荷物を受け取るなど説明受け、「お二人で行かれるされるのですか?」
と言われ、逆に、「そんなに大変なところですか?行かれたことありますか?」と、返すと、「まあ、あちこちに・・・・、とにかく気を付けて」
と、心配そうな顔され、ますます不安が増してしまった。
今回の旅は、取り敢えず日程の割り振りをし航空券を購入。観光は全て後から決めるという具合で、旅の計画を練りながらこんなに長い
日程不要では? また、ヨハネスブルグはパスした方が良かったのでは?と悩むこともあった。
と、いうのも、「ヨハネスブルグ中心部へは、決して興味半分で行ってはいけない。中心部以外でも現地を良く知っている信頼できる人と
一緒でないなら町中を歩くことは避けるべき・・」と。更に、「世界で一番危ない都市」と言われてると記されていたのだから。
実際、関東からのツア-3組に出会ったが、ヨハネスブルグはパスしていたツア-もあった。しかし、終わってみれば、やはり、ヨハネスブルグも、
街の中心は現地ツア-の往復で遠目に見たに過ぎないが、やはり行ってよかったと思う。
ケ-プタウウンに降りたった時、飛行場は閑散としていたが、シャトルバスも近代的で、ここはアフリカ?とまず驚いた。しかし、シャトルバスの
車窓から、さっそく、かなり長く続くタウンシップの家並みを見て現実を見せられた思いだった。
アパルトヘイト撤廃は、今からそれほど遠くない、1991年の事。それまで、政府により人種ごとに住み分けさせられていた旧黒人居住区、
ケ-プタウンのタウンシップをツア―の車で走りながらカメラを向けるのをためらってしまった。
狭い路上で鳥の羽をむしっている人、ドラム缶?の上に網、煙くすぶる中に焼き鳥が並ぶ。鍋窯で煮炊きする。水たまりの路上で遊ぶ子ども
たち。素朴な、まさに日常の生活の光景?ガイドさんは早く通過したいの思いもあるのか、あ―という間に通りすぎていた。
トタン屋ねを継ぎ足したような住まいには、アンテナもついており、随分生活様式も変わったと思われる。しかし、タウンシップの生活から中々
抜け出せない人達、中には、会社勤めをしながらも今までの共同生活を好んでいる人もおられそうだ。
一方、高級ホテル、ショッピングセンタなどが並ぶウオ-タ-フロント地区、そこから海に沿って西に延びるビ―チには高級リゾ-ト地、北西部
は白人の新興住宅地など。明らかにタウンシップと違う。アパルトヘイト政策は撤廃されたが、いまだ、居住区の住み分けは続いているようだ。
現地では、ホテル、タクシ―、観光ガイド・運転手さん達の殆どが黒人の人たち。 黒人居住区タウンシップの見学は、かっては、ガイドさんの
自宅や、ツア-会社が契約した家庭を訪問していたが、今は他人の家をのぞくことは、プライバシ-侵害にもなりかわりつつあるらしい。
今回の旅の目的は、やはり、南アフリカ大陸の最南西端の喜望峰・ビクトリアフォ-ル、チョベ国立公園で野生の動物を見ること。
そして、一番重荷だったのはヨハネスブルグの観光。ガイドさんに、マンデラハウスなどの1日観光が、あまりに早くおわりそうだったので、タウン
シップ内に訪れていないことに気づき、ブログでの写真散策している様子を印刷して持参していたので、見せると、「そこへ行きたいのか?
行くならタウンシップのガイドを頼まなければ中には入れない」と、ツア―会社に電話してくれた。
ガイドさんは日本人の担当者とかなり長い間交渉してくれ、後、電話を代わると、「もう夕食の準備が始まるの時間だから」と、言われ、
残念ながらタウンシップ内を車で走ることさえできなかった。しかし、その間、ガイドさんは何か苦情でも言われている?と、気にしていた風で、
また、別のガイドさんに、タウンシップツア―に私たちが行ったことを話すと、「ありがとう!」 と、とてもうれしそうに喜んでくれた。
私達はヨハネスブルグ観光のプのパスも考えたほどだったが、タウンシップに寄ることを交渉してくれたガイドさんは、現実を見てほしい、
知ってほしい?いう思いも持たれていたのでは?とも感じられた。
極度なインフレに陥っているというジンバブエでは 、2006年に通貨の切り捨て、デノミが行われ紙幣が発行停止。今はドルが使われている
のに若者が古い紙幣を見せながら、「ス-ベニア-に」としつこく寄ってこられ驚いた。また、朝早くから銀行に列を作り並らぶ光景、
街を、滝を歩く人も少なく、 日本からの個人旅行者3人、ツア-の人たちにも空港で出会っただけ、今は、閑散期なのかもしれない。
そんな中、ビクトリアの滝で個人旅行のHさんと出会い、一挙に楽しい旅となったのだから不思議だ。私たちも時間さえあえば、ヨ-ロッパ旅行
の途中で、ヨ―ロッパ⇔南アフリカの飛行機、約10時間のプランもありかなと。今まで経験したこともない旅のスタイルが大変参考になった
私達の旅の総費用の半分以上が、航空券費用が占めている。 ヨハネスブルグから国内線・国際線便4回利用なので仕方ない事?
ちなみに成田からの2人の女性は8日間の旅で、成田→(香港経由)ヨハネスブルグ→リビングストン⇔ヨハネスブルグ→ケプタウン
→ヨハネスブルグ→成田。更に、リビングストン⇔クル-ガ往復を加え、6回飛行機利用で、23万円だったとのこと。
南アフリカへの路線は、アジアでは香港経由しかなく、便の多いヨ―ロッパ便に比べると随分高くつくことを知った。
旅行前に、現地でも、危険、危険!という警告に不安もあった旅だったが、朝食のオムレツを、「Have
a
nice day!」と、
いつもやさしく微笑み、焼いてお皿に入れてくれたコックさん。一部を除いて、運転手兼ガイドさんたちみなさん明るくて親切だった。
南アフリカになお残る人種差別を垣間見て、また、今なお国民にしたわれる、偉大なマンデラ大統領を誇らしく案内してくれたガイドさん。
ほんの一部知り得たに過ぎないが、学びの旅が無事できたことに感謝、感謝!!
ゲ―ムドライブ・山側からの眺め
像のモデル!?
ボ-ト・ドライブツア-発着のホテル
獲物ゲットの為羽を広げ待つ
【ビクトリア・ジンバブエでの4日間】
粉ひき・織物・調理・・
を実演してみせてくれる
妊婦or病人の家
『白人とそれ以外』
と分けられている入口
マンデラハウス
Cape Point
喜望峰
展望台へ
楽団演奏で
船を迎えてくれる
6月23日;ケ-プポイント・喜望峰自然保護区1日ツア-(2人:約1万8000円)
6月22日 11:40空港着後、mycityシャトルバス(1人約800円・25分)でシ―ビックバスセンタ-へ。
ホテルへは、シビックセンタ-から歩いて5分ほどの距離。チェックイン後、街を散策。テ-ブルマウンテン方面に、1990年、ネルソンマンデラ氏が
刑務所から出所した際に、バルコニ-から演説したという市役所を目ざし歩いた。
途中のケ-プタウン駅近くでは丁度仕事帰り?の時間だったらしくみな急ぎ足。高級列車ブル-トレインも走るという、鉄道駅があるはずなのに
ケ-.プタウンと表示している建物はあるが、中はガラ-ンとしている。
また、駅の2階にはアフリカ庶民の足といわれる、ワゴン車ミニバスが所狭しと並んでいた。客が集まると発車するらしく、私たちにも声かけ呼び
込みしてくれたが、バスはとても利用できる雰囲気でもなさそう。そして、どこからともなく、物売り、物乞い風の人たちに寄ってこられ、それは、今は
コンサ-トホ-ルとなっている、閑散とした市役所のまわりでも同様だった。
ホテルの周辺で食事する場所は?と探したが、唯一、見かけたのはキングバ-ガ-のお店。その為、食事はホテルで、また、高級ホテル・ショッピ
ングセンタ-もあり、安全とされるウオ-タ-フロントでとることにした。
公園入口
―旅の行程―
6/21:KIX 10:40発→香港13:45着(10時間のトランジット・香港観光)
香港発23:55分 →6.22ヨハネスブルグ07:05着・9:10発
6/22: →ケ-プタウン11:20着・・・4泊
6/26:ケ-プタウン8:50発→ヨハネス10:45着・・・3泊
6/29:ヨハネスブルグ10:50発→ビクトリアフォ-ル12:30着・・・4泊
7/3:ビクトリアフォ-ル13:30発→ヨハネスブルグ15:05着・17:20発
7/4:→香港12:25着・15:20発→KIX20:05着
滝の落差93m
ヨハネスブルグ空港
親切に?手際よく荷物を運んでくれる人
文化村では居住している人も
約200万年前の頭蓋骨・
「Mrs Ples]を抱く博士
ケ―ブルカ-
乗り場
FREEDOM NOW!!
ペロン島行き、混雑する乗船風景
長距離バスタ-ミナル
銀行の前は朝・昼人だかり
1976・6・16記念碑
日時:2017年6月21日(水)~7月4日(火)
青空でも、滝の傍は水煙!!
素晴らしいグラデュエ-ション!!
7月2日(日)ビクトリア4日目最終日
朝、街を散策し、10時チェックアウト後、ビクトリア~ヨハネスブルグ~ケ-プタウンに向かわれるHさんを見送ることにした。
「タクシ-は?」 と聞くと、既に止まっていた車のフロントに、「エアポ-トタクシ30ドル」と小さく書いてあった。、タクシの運転手さんに、先ほど
ホテル傍で交渉し、25ドルで話がついているのだという。思わず、「明日も、同じ時間に、同じ値段で・・・」というと、車から降りてきて
転手さんは、とても喜んでくれた。そして、翌日、時間どおりにホテル前で待っていてくれた。
タクシ―に乗ると直ぐに、運転手さんはガソリンスタンドに寄りたいという。注油は、5Lとオ-ダ-していたが、おそらく空港までの往復分の
ガソリンだったのかも?タクシ-利用する個人旅行の人は少なく、また、ホテルでタクシ-を頼むと知り合いの白タクを呼ぶ?
ホテル前で客を待つ方が賢明かも?他にも 客待ちのタクシ-が1台停まっていた。
最終日のフリ-の一日は、もうもうと上がる滝の水煙・ビクトリアフォ-ルズ橋をヴィクトリア・フォ-ルズホテルから眺む。
そして、街・ビッグ・ツリ―、バオバブの木辺りを散策した。
次に、ズ-ル、コ-サ、ペディ、ソト、4つの部族の伝統的な集落、各部族の生活様式など、レセディ文化村ガイドと一緒に見学。
各部族の生活様式・食生活などを見せてもらい、途中、「ビィンズ」と言われ試食したカレ-の中に、よく見ると、幼虫?!
後、集会所では、ダンス・歌など総勢20数人が入れ替わり立ち代わりパフォ-マンスショ-を見せてくれた。かってのアフリカの住居・生活様式に
触れることができた。
ツア-に行く途中にライオン・トラ・キリンなどのサファリ-もあり、運転手さんは親切にも車中からだが見学させてくれた。他に、ライオンと触れ合
えるライオンパ-クツア-もあるので、ガイドさんは車を一時停止するのさえかなり気遣っていたようだ。
体験談を
語る元収容者
ザンビアの土産物屋さん
部屋の中では、
男性はイス・女性はござと決まりあり
NON WHITE
WHITE
ドイカ島へ向かう
ミニバスタ-ミナル
夕食は持ち寄りパ-ティ
チョベ国立公園
ケ-プマング-ス
鉄道駅あるも無人で
電車停車したまま!
ただひたすら眠るライオン
寄り添うカバ
ボ-トサファリ-
ボ-ダ-にて
ホテルロビ-にもMandela Day
ライオンズヘッド
周囲の街
テ-ブル湾沿いの高級住宅街
700人もの命が失われ、
ミサが執り行われた教会
クドゥ
街から滝への風景
イタリア様式の建物・市役所周辺
バンジジャンプの塔
ビクトリアホテルから滝の噴煙を!
駐車場を望む
バブ-ン(ヒヒ)
スナック菓子などの売店
―はじめに―
イノブタ?
山から川を泳ぎ
中洲の岸辺に歩いていくいくゾウたち
元気に遊ぶこどもたち
喜望峰・写真撮影スポット地にて
子育て中のペンギンたち
寝そべるオットセイの群れ!!
頂上~パノラマの眺望 海・街
パ-クインホテルでの朝食
部族、時代によりにより異なる家屋
観光の街・ウオ-タフロント
突進するバッツファロ-
車窓風景 野焼き・牧場・青菜の畑
街はのんびり警備
空港からはシャトルバス
街のどこからでも眺められる
テ-ブルマンテン
ジンバブエ~ザンビアボ-ダ-の橋から滝を眺む
山・谷・難所ありのハイキングコ-ス
沿岸の土産物店
Lesedi Calutural Village
餌をついばむメスのダチョウたち
山から下りてきて川泳いで中洲へ
大西洋をバックに
もの思いにふけるヒヒ
展望台
展望台から望む